演劇集団三色旗 十回突破記念 特別公演

魔女と少女と黒猫の家
-a house of a witch, a girl and a cat-

[未来永劫][霧越藍×椎葉朱里×奈良原白夜]


第三部



 こうして、1人と1匹の共存生活は、2人と1匹の共同生活へと移り変わっていった。
 匿うというのが方便であることくらい、魔女にも判った。
 だから、少女が本当はどうしたいのか、そこが判らなかった。
 まさか好んでこのような汚くて薄暗い場所に棲みたいなどと思う者がいるはずもない、と考えて、それを否定した。
 少女は盲目だ。明るさなど無用だし、ある程度汚くても、匂いなどが発生しない限り気付かないはずだ。
 ただ、雑然としているので、足を取られて転んでしまったりすることはあるかもしれないが。
「お姉さん、この子、名前思いつきました?」
「‥‥勝手につけろと言っただろう‥‥」
 ひと段落着いて再びベッドに腰掛けている少女が、膝の上にまどろむ黒猫を置いたまま、む、と不満げに口をゆがめた。
 少女は今、私の用意した服を着ている。
 服といっても、ただ袖を通すだけのローブのようなもので、少女が普段着るような、ごくごく一般的な衣服など1着も持っていない。
「ダメですよ、この子、お姉さんと暮らすほうが長いんだから、お姉さんが気に入る名前じゃないと」
 知らねえよ、と思ったが、それを口に出すことも魔女にはできない。
 もっとも、口に出したところで、少女は明るく笑うだけなのかもしれない。
「あ、そうだ、聞いていいですか?」
「だめだと言ったらやめるのか?」
「やめますけど、次からは、聞いていいですか、じゃなくて、聞きますよいいですね、って言います」
 思わず少女を振り向く。
 目を閉じたまま少女は顔を魔女のほうに向け、やはりにこにこと微笑んでいた。
「‥‥勝手にしろ」
「はい、じゃあ、勝手にします。ええと、この部屋って明るいですか?」
「――はあ?」
 少女は盲目である。何度も確認しているのに、その事実を忘れそうになる。
 だから魔女は一瞬だけ抗議しかけて、開いた口を閉じた。
 改めて魔女は、小屋をぐるりと見渡してみた。
 光をこの部屋に満たしてくれる役に立つのは、小さな窓と小さなランタン、それぞれひとつずつ。それだけだ。
 窓は空気の入れ替え用に使っているもので、位置が悪いのか、あまり日をとりいれてはくれない。
 ランタンも、必要最小限の光を保っているので、お世辞にも明るい部屋だとは思えない。
「暗いよ」
「そっか」
 少女は頷いた。
 どこか嬉しそうに、口元が笑っている。
 魔女には少女が何を言いたくて何を聞きたかったのか、そして満足したのか不満足だったのか、さっぱり判らなかった。
「ねえ、お姉さん」
「なんだよ」
「いつもご飯ってどうしてるんですか?」
「‥‥食事?」
 お腹がすいているのだろうか、と邪知してみる。
 外は暗い。もはや夜だ。気持ちは判らないでもない。
「適当に。森で採ったものを食っている」
「木の実とか?」
「猪や兎や鳥なんかを、だ」
「えっ!」
 いきなり、少女が立ち上がる。
 まどろんでいた黒猫が放り出されて、危なく地面にぶつかりかけたところで目を覚まし、うまく着地した。
「ウサギ? ウサギですか?」
「兎だと言ったが。狼は美味いがなかなかいないから、普段は兎か鳥だな」
「ウサギを食べるんですか!?」
「は?」
「ダメですよ! ウサギ食べちゃ! それにイノシシもトリも、オオカミも!」
「なんでだよ‥‥」
 少女は何か宗教でもやっているのだろうか。
 それとも断食主義者なのか。
「だって、みんな生きてるんですよ! 一生懸命生きてるのに、食べちゃかわいそうです!」
「――それじゃあきみは、狼が兎を食うのも止めるのか?」
「それはいいんです、食物連鎖だから」
「おいおい‥‥」
 食物連鎖だと言うなら、人間が他の動物を食べるのも同じことではないか。
「きみだって肉を食うだろ?」
「いいえ、食べませんっ」
「なに?」
「食べたことありませんっ!」
 絶対嘘だと魔女は思ったが、それを指摘するほど子供でもなかった。
 ただ、呆れて、少女をまっすぐ見つめた。
「それに、生き物を殺すのはかわいそうです」
「誰だって、生きるためには他の生き物を殺すしかないだろう? 食べていくために」
「でも、動物を殺さなくても生きていけます!」
「殺すのは食うときだけだ。意味もなく殺したりはしない」
「それでも、だめなんですっ! 食べるために殺すのは間違ってるんです!」
 かなり強情だ。何かあったのだろうかと思ってしまう。
 だが、これは少女の個人的な主張に過ぎないのかもしれない。
 あるいは、肉を食べられなかった過去を正当化するための手段。
「お母さんが言ってました。見つけたときに死んじゃっていたりするものは、食べてもいいけど、食べるために殺すのはいけないことだって」
「どう違うんだよ、それは」
「だから、その、たまたま道を歩いていたら、ウサギが行き倒れになっていたりしたとき‥‥」
「ほう。きみは行き倒れの兎を食うのか。もしかしたら腹が減って気絶しているだけかもしれない兎を食うのか。食事を欲しがっていた兎を、逆に食事にするのか」
「生きてたら食べません!」
「生きているかどうかなんて、捌いてみないと判らないだろう。かわいそうに。気付いたらきみのお腹に入っていた兎もいたということか」
「違いますよ!」
「どこがだよ」
「う、ううー」
 少女が唸る。
 道端に倒れている兎が生きているかどうかなんて、体温で判るものだと思うが、そこまでは言わなかった。
 少女が悩んでいる姿を見るのが、楽しかったからだ。
 ともあれ、少女はつまり、人間は雑食なのだから植物だけでも生きていけるのだと言っているのだろう。
 もちろんその通りかもしれないが、あいにく黒猫は、肉食なのだった。

 少女がどういう暮らしをしてきて、どういう気分でここにいるのか、魔女には理解できない。
 理解しようとも思わなかったし、理解すべきことだとも思わなかった。
 だから魔女は、一度は殺しかけた少女と、主より客人に媚を売るふざけた黒猫と共に暮らすことに、苦痛はなかった。
 ただ違和感だけがあった。
 少女が、魔女に思い出させた。
 もはや何年前だか忘れてしまった、そのずっと昔、この場所であったこと。
 黒猫がこの小屋に来た日。
 その、できることなら思い出したくなかった日々のことが、違和感として魔女の頭に残っている。
 人は言う。
 森には恐ろしい魔女が棲んでいると。
 人間の魂を食い、魔法の実験に使う、非道な魔女であると。
 そしてそれは、ほとんど当たっている。
 魔女が棲んでいるのも事実だし、魂を吸い取るのも事実だった。
 反魂。
 禁忌とされる魂の生成。
 魔女が何百年もの間研究し続けていたのは、そういう魔法だった。
 だから、人間と人間以外の動物の魂を入れ替えることもあるし、それが失敗して吸い取るだけに終わり、殺してしまうこともあった。
 黒猫は、そんな犠牲者のひとりだ。
 人間の魂は複雑で、他の器に移すどころか、一度取り出して元に戻すことすら未だにできないでいる。
 だからといって少女を実験に使うつもりは毛頭ない。
 ただ、ちょっとした息抜きのようなものだ、と思っている。
 これから何百年続くか判らぬ実験と研究の日々の中、ほんの刹那の瞬き程度でしかないこの時間が、少しは未来の自分への贈答になればいいと思っていた。

 それからどれくらいの月日が流れたのか。
 少女は時間が判らぬし、魔女は時間を気にしていない。
 少女は、朝夕の差が判らぬ割には規則正しく生活していた。
 魔女は、朝夕の差なく研究に没頭していた。
 ベッドは、常にどちらかが占有している形になったが、時には使う時間が重なることもあった。
 最初にそうなったとき、先に寝ていたのは少女だった。
 魔女は、面倒だと思いつつも床に寝る気にはなれなかったので、少女の横に潜り込んで寝た。
 少女の甲高い声で起こされたときは、何事かと思わされた。
 目を開けると、少女が毛布を抱いてなにやら震えていた。
 顔を赤く染めていたが、風邪でも引いたのかと思って額に手を当ててみると、異様な声を上げられてしまったので、それ以上触れることなく毛布を引ったくり、再び眠りに落ちた。

 そして、魔女自身気づかぬ間に、食事から肉が減っていた。
 黒猫は明らかに不満の声を上げていたが、魔女がそうした状況に気付くまで、しばらく時間がかかった。
 もちろん、少女によって食事が用意されたわけではない。魔女が自分で作って、そして気付かなかったのだ。
 気付いた瞬間、大声で笑い出したくなる衝動に駆られた。
 まさかここまで影響されるとは。よほど少女との生活は居心地がよいらしい。
 また、魔女は、少女が思いのほか掃除が得意であるという事実に気付き、驚いた。
 盲目なのに、躓くことなく歩けたときに疑問を抱くべきだったのかもしれない。
 視覚以外の能力で空間を把握する力に、少女は長けていた。
 そうして、2人と1匹の共同生活は続いていった。


* * *


 未だに、猫に名前をつけることができないでいた。
 ベッドに寝転び、胸に全身を伸ばして眠る猫を乗せたまま、私はぼんやりと考えていた。
 せっかくだから、素敵な名前にしたい。
 お姉さんにも喜んでもらえるような、そんな名前がいい。
 そろそろ決めてあげないと、私がここにいる意味がないのでは、なんてことすら考えてしまう。
 でも、この子と遊んでいると、そんなことも気にならなくなるくらい、楽しい。
 それはひとえに、この家の居心地がいいからだ。
 お姉さんは殊更干渉してこないけど、凄く適切でいい距離を保ってくれている。
 もしかしたら嫌われているのかも、なんて思ったのは、最初のほうだけ。
 そんなことを心配するくらいなら、好かれるように頑張ろう、と思った。
 お姉さんは素敵な女性だ。
 魔女というと怖くて冷たくて恐ろしいイメージしかない、というのが普通の人の感想だろうし、私も幼い頃はそう思っていた。
 魔女に憧れ始めた頃からそんなイメージは抱かなくなっていたし、それに実際、こうしてお話してみると、普通の人だ。
 確かにちょっと冷たくて優しくないと思うこともあるけど、それは魔女だからじゃなくて、人と話すことが少ないせいだと思う。
 話してみると、意外といい人だっていうことが判る。
 私が他人のことを言えた義理じゃないけど、けっこう世間知らずだし。可愛いところがあったりして、日々発見の毎日。
 裸にされた日のことを思い出すと未だに恥ずかしくて悶えてしまって、そのたびにお姉さんが冷たく指摘してくる。
 あるとき、なぜかお姉さんがこのときばかりはしつこかった。
 お姉さんとしても、長いこと気になっていたことだったのかもしれなかったけど、私としては、その疑問はずっと心の中に留めておいて欲しかったなあ、なんて思っている。
「きみ、なんでそう赤くなっているんだ」
「ええと‥‥裸にされちゃった日のことを思い出すと、恥ずかしくて」
「女同士なのに裸を見られて恥ずかしがるのか? なんなんだよきみは」
「だって‥‥」
 顔が火照ってくる。お姉さんの目(があるはずの方向)から顔を逸らした。
「あのとき、私、襲われちゃうと思ったから‥‥」
「――魂を吸われると思ったってことか」
「そうじゃなくて‥‥その、えっと」
「はっきり言ったらどうだ」
 お姉さんの声にイライラが混じっている。私は少し慌てた。
「私、初めてだったから‥‥」
「はあ? 二度三度も魂を吸われる人間がそう簡単にいてたまるか」
「だから、違うの」
「だったらなんなんだよ」
 紙をめくる音が定期的に聞こえる。どうやらお姉さんは、読書をしながら私と会話しているらしい。
「その‥‥エッチなこと、されると思って」
「‥‥‥‥‥‥は?」
 どさり。
 床に何か重いものが落ちた音がした。
「――な、なんで、わたしがそんなこと、すると思ったのか‥‥?」
「お、思った。思ったよ」
 いきなり裸に剥かれてしまったんだから、そうとしか考えられないではないか。
 診察なんだったら、下着まで吹き飛ばす理由はなかったはずだ。百歩譲って下着を取るとしても、せめて上半身だけでよかったはずなのに。
「あ、いや、それはその‥‥わたし、言わなかったか?」
「言わなかったよ!」
 言ったのは、いきなり「脱げ」それだけ。
「なんか変な声あげると思ったら‥‥そういうことだったのか」
「へ、変? 私、変な声あげた? あ、あげてない、あげてないよっ!」
「傷に触れて痛かったのかと思ってたんだが」
「えっ!? そ、そう、そうだよ、痛かったんだよ!」
「‥‥‥‥」
「な、なに?」
 いきなりお姉さんが黙りこくって、私は不安になった。
 こつ、と足音。こちらに近づいてくる。思わず私は、ベッドの上でずりずりと後ずさった。
 背中が壁にぶつかる。これ以上は下がれない。
 と思ったと同時に、ぎし、とベッドが軋んだ。
 私以外にベッドに乗った人がいる。誰が。誰がって、ひとりしかいないじゃないか。
「え、ええっ?」
「そうか。きみは期待してたのか‥‥」
「しししてない! してないしてないしてないっ!」
「悪かったな、きみの期待を裏切ってしまって。さぞかし残念だったことだろう」
「残念じゃない全然全然残念じゃないよ! 心配しないでいいよ私平気だからうん全然平気だからっ!」
 顎を掴まれた。
 このベッドで最初に起きたあとされたみたいに。
 くい、と顎が持ち上げられる。斜め上を向いたかたちになる。
 見えない、見えないけど、その先に何があるのか、見えるはずのその先に何があるのか、そんなことは見るまでもない。
「顔を赤くしていたのはそういうことだったのか‥‥」
「してない、してないって! 赤くなんてしてないよ!」
「見えないくせに言うなよ。意識してるのバレバレじゃないか」
「ええっ!?」
「くくっ」
 喉の奥から響いたその笑い声は、魔女の名にふさわしい、恐ろしいものだった。
「そう怯えるな」
 お姉さんのもう一つの手が、私の肩に触れる。
 ただそれだけなのに、体中がかっと火を焚いたように熱くなった。
「痛くしないから」
「まま、待って、待ってくださいよ! こ、こういうのは、きちんと段階を踏んでですね‥‥」
「――きみ、そういえば、あのときもそんなこと言っていたな」
 はた、とお姉さんが首を傾げる気配。
 そして、再び、魔女っぽく笑った。
「くく。そうか、そういうことだったのか。なるほど、可愛いじゃないか、きみ」
「――」
 声が出なかった。
 可愛いといわれて、それだけで、動揺して心臓が破裂しそうで息が詰まって、声が出なかった。
「確かにあのときはまだ早かったかもしれない。だが、あれから随分経ったじゃないか。それとも、きみはわたしが嫌いか?」
「え!?」
 そんなことがあるわけない。
 そんなことないのに、そんなことないなんて口では言えなかった。
 息が詰まっていたのもある。でもそれ以上に、口に出そうとして、とてつもなく恥ずかしいことだと気付いたのだ。
「あ、お、おね、お姉さんは――」
「うん?」
「おね、えさんは、私が好きですか?」
「‥‥」
 お姉さんの呼吸が止まる。
 と思ったら、「ふっ」なんて、勝ち誇ったような声。
「それはこれから判るよ」
「ええっ? そ、そんな、答えになってないじゃないですかっ!」
「きみだって答えてくれなかったろう?」
 ぐい、と、顎が更に上に向かされる。
 目の前にお姉さんの顔がある。
 あ、あれ、これって、もしかしてものすごくピンチなんじゃないデスカ‥‥!?

 ごとり。

 空気が凍った。
 お姉さんの後ろ、ベッドの向こうで、何かの音がした。
 私はその気配を探ってみる。お姉さんは振り向いたかもしれない。
 そして、たぶん同時に気付いた。
 そこにいたのは、猫だ。
 いつの間にか戻ってきた猫が、、まるで謀ったように音を立てて、お姉さんを引き止めてくれた。
「‥‥ち、邪魔されたな」
 お姉さんはそう言って、私の顎を解放した。
 ほっ、と息をついた瞬間。それが致命的だった。
 お姉さんは額にかかる私の髪をかき上げて、そこに柔らかい何かを触れさせた。
「――」
「これで我慢してやる」
「な、な!? な、な、な‥‥」
 何をされたのだろう。何をされたのだろう?
 なんとなく想像はつくけれど、それが正しいかどうか判らないし、何より不意打ちされたのが気に食わない。
 顔中に全身の血が集まっているような、沸騰しそうな熱さを感じながら、私は喚いた。
「ななな、なにしたんですか今!」
「何も?」
「何もじゃないですよ何かしたじゃないですか今! 私のおでこ! 何したんですか!」
「気のせいだろ」
「うー!!」
 目が見えないことをここまで後悔したのは、随分久しぶりだった。
「そうだ、それより、コイツの名前を考えてくれるんじゃなかったのか? あれから随分経つが、決まったのかな」
 膝の上に、いつものふわふわの感触。お姉さんが猫を置いてくれたようだ。
 手を伸ばしてみると、その手の甲を、猫がぺろぺろと舐めてくれる。くすぐったくて笑った。

 それから一晩悩んで、ようやく決めた。
 もちろん、お姉さんに進言するのは忘れない。
「ねえ、お姉さん」
「ん?」
 呼びかけたときの返答ひとつにしても、以前よりは随分柔らかくなっている気がした。
 前なんか、声に棘が生えているような返事のしかただったし。
「お姉さん、自分が冷たいって思ってる?」
「‥‥なんだ、いきなり」
「いいから。どう?」
「自分が暖かいとは思っていないよ」
 そりゃそうだろうな、と思った。
 お姉さんのもともとの性格なのかもしれないし、魔女だからというのが原因になっているのかもしれない。
 どちらにせよ、お姉さんが自分を冷たく保とうとしていることは私にも判っている。
「でもね、お姉さん。猫ちゃんのお世話してるお姉さん、とっても優しい顔をしてるんだよ?」
「――はあ?」
 バカにしたような声をあげて、お姉さんが反論する。
 その気持ちも判る。どう考えても、意識してそうしていたわけではないのだろう。
「顔なんて見えないだろう、お前」
「でも判るの。雰囲気とか、空気みたいので」
「‥‥」
 くだらない、くらい言われると思って覚悟したけど、言われなかった。
 面倒で否定しないだけなのか、少しは自覚があるのか。
「この子はね、お姉さんにとって、たぶん光なんだと思うな」
「光?」
「うん。でも、光じゃ眩しすぎるかな。じゃあ、もう少し落として、明かり、ってところ」
「どっちも代わらないようにしか思えないが」
「いいの。私がそう思ってるんだから」
 お姉さんはたぶん、自分を闇の住人だと思っている。
 魔女という性質上、それは間違いないことだし、そうであるしかない必然的なものなのかもしれない。
 でも、お姉さんは、何百年もここで暮らしているはずなのに、人に恨みを持ったり、あるいは人の心を忘れたりしていない。
 長い間他人と離れて暮らしていれば、どうしても人嫌いになりそうなものなのに。
 嫌でも、人としての感情なんか忘れてしまいそうなものなのに。
 それを引き止めて、お姉さんをお姉さんにしているのは、きっと、この子のおかげ。
 だから、この子は、明かり。お姉さんの道を照らす明かりなんだ。
「ということで。この猫ちゃん、お名前は『アカリ』にしようと思うの。どうかな?」
「どうかな、って言われても‥‥」
 にゃあ、と、猫が鳴いた。
 私に賛成してくれているかのように、嬉しそうに。
 ――というのは、もちろん私の勝手な解釈なんだろうけど。この際、せっかくだからその解釈を信じることにする。
「ほら、アカリも喜んでる」
「きみなぁ‥‥」
 にゃあ。
 お姉さんの言葉を遮るように、もう一度アカリは鳴いた。
 うん、きっと、反対の言葉を聞きたくなかったんだ。名前を気に入ってくれたから。
「ね? いいお名前でしょ」
「‥‥勝手にしろ」
「うん、勝手にするよ。だからお姉さん」
「なんだよ」
「お姉さんも名前で呼んであげて? アカリ、って」
 にゃあ。
 名前で呼べ、と言っている。気がする。
「なんでわたしが‥‥」
「勝手につけろって言ってくれたでしょ。それって、つけた名前は認めるよってことなんでしょ?」
「そんなこと言ってないじゃないか‥‥」
「ふうん? じゃあ、勝手にしろって言ったのに、その名前はだめー、なんて言うんだ、お姉さんは。嘘つきー」
 にゃあ、にゃあ。
 私に同調して、お姉さんに抗議してくれている。のだろう。たぶん。
「‥‥‥‥」
 お姉さんはそれからしばらく、アカリと私の抗議に沈黙を守っていたけど、やがて諦めたように、判ったよ、と呟いた。
「はい、それじゃ、どーぞ!」
「‥‥‥‥」
 完全な静寂が降りる。
 でも、私は何も言わない。
 アカリとお姉さんが、見つめ合っている気がする。
 こういうとき、相手の目を見ることができることが、羨ましいとふと思った。
「‥‥アカリ」
 にゃあ。
 アカリが、本当に嬉しそうに鳴いた。
 それを聞いて、私も笑顔になる。
「これで、本当の家族になれました!」
「家族?」
「うん、家族です。お姉さんと、アカリと、私。家族だから仲良く暮らすんです」
「‥‥」
 お姉さんは何も言わなかったけれど、アカリは元気に鳴いてくれた。大賛成、って言ってくれているんだと思う。
 お母さんとお父さんがいなくなってから、しばらく感じたことのなかった幸せというものを、私は感じていた。
 ほんの、少しの間だけだったけれど。



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