運命。 それは人に希望を与え、人に活力を与え、時には人を誘惑し人を支配する魔物。 総ての道筋は何よりも前に決まっていて、私たちは時折、その運命の輪に悩まされ、惑わされ、苦しまされる。 しかし、それでも運命は、私たちの予期せぬ場所に転がり、私たちの未来を決定付けていく。 運命。それは、世界の理。 なんていうクソ食らえな幻想をぶち破るべく学園に発足した非公認特別委員会(つまり勝手な活動)こそが、【運命的出会い撲滅委員会】なのである。 現会長の名は、奈良原白夜。 紺色のセーラー服の上に、四季問わず漆黒のコートを羽織り、色の濃いサングラスをかける、黒髪の美女である。 人呼んで"完全漆黒"。【運命的出会い撲滅委員会】を指揮指導し、その頂点に立つ反英雄なのだ。 その奈良原が率いる【運命的出会い撲滅委員会】の活動は、多岐に渡る。 だがその目的、対象は、実に明白。つまり「運命的出会いをしようとしている人間」を滅殺することだ。 例えば、遅刻したネボスケ学生と転校初日の美少女女生徒が曲がり角で不意にぶつかりそうになったとき。 彼ら【運命的出会い撲滅委員会】は、会長奈良原の完璧かつ迅速な指令のもと、ネボスケ男子学生を背後から急襲。 およそ500発のBB弾を浴びせ、これを滅殺するのである。 また例えば、生真面目な委員長がいつもやる気のない不良が雨の日に捨てイヌに持ち歩いていたミルクをやる場面があった。 そんなとき彼ら【運命的出会い撲滅委員会】は、さりげなく捨てイヌを捨てオオカミにすり替え、優しさを見せた不良に全治2ヶ月の大怪我を負わせ、運命的出会いを撲滅させることに成功した。 そして奈良原は、その様を見下ろしつつ高笑いを放つ。 まさにシニカル。まさにニヒル。完璧な黒、それが奈良原の属性なのである。 「奈良原会長!」 「どうした委員メンバー0709」 「諜報操作レーダー"Eの41"より、運命的出会いの警報発令! 現在、メンバー6名が急行中!」 「"Eの41"というと‥‥屋上か。成る程。絶好の運命的出会いポイントであるな。私も出動する」 「は、はいっ!」 "完全漆黒"が出動する。 それはつまり、事態が無事に収束することはないという最終通告である。 オペレーターの少女は、緊張した面持ちで奈良原を見送った。 その頃。 屋上では、一人の男子学生が床に転がって眠りこけていた。 授業を放棄し、マイペースな腑抜けを演じるバカである。 いかに人生長いからといって、高校生活たった3年間で、そんなギャルゲーめいた事件が起こるはずもない。 屋上で授業をサボっている男のもとに美少女が現れる展開など、使い古されて面白くもない。 このように、手垢の付いたようなつまらぬシチュエーションこそが、【運命的出会い撲滅委員会】が最も敵視する状況なのである。 そもそも、そんなやる気なしを装って美少女とのエンカウントを望む男など、いてもいなくても同じだ。 しかして、そのような冗談みたいな事件が起こってしまうのが、恐ろしいところである。 そのために、彼女ら【運命的出会い撲滅委員会】がこの学園に存在していると言っても、過言ではない。 男子生徒は、ふと目を開けた。 今の今までうららかな太陽が全身を包み込んでいたのに、突然瞼の向こうが暗くなったのだ。 (お、これは美少女との出会いフラグが立ったかな) 内心ほくそえみながら瞼を開けた彼の目線、その先にあったのは。 「‥‥‥‥‥‥」 完全なる漆黒。完璧なる暗闇。 黒ずくめのイカれた美女、奈良原白夜であった。 「ぬわ!?」 思わずあとずさる彼の背中に、何かが当たる。 恐る恐る振り向いてみると。 後ろだけではない。周囲360度総てが、あの悪名高き【運命的出会い撲滅委員会】によって包囲されているのだ。 「【運命的出会い撲滅委員会】――只今参上っ!」 「な、な‥‥」 「貴様」 奈良原がハスキーな声で言った。 「所詮ギャルゲーオタクでありながら、美少女女学生との出会いを欲するなど言語道断。【運命的出会い撲滅委員会】の名に於いて、貴様を完膚無きまで滅殺する」 女性としてはかなりの長身に入るであろう180センチの頭上から見下ろされる絶望感。 ジャイアント馬場に睨みつけられたカエルのようなものだろうか。 男子学生はがたがたと震え、脱兎の如く逃げ出そうとするも、包囲は全く緩まない。 かくして、この学園からまた一人、男子学生の名が消えていくのだった。 * 題して、『【運命的出会い撲滅委員会】撲滅作戦』。 そう、でかでかと書かれたホワイトボードの前で、小柄な、あまりにも小柄な眼鏡の少女がばん、と教卓を叩いた。 「皆さん! 今こそ、にっくき奴ら【運命的出会い撲滅委員会】を撲滅すべきです!」 少女の視線の先。 つまり教室の生徒用の机椅子には、ネコの子一匹座っていなかった。 すなわち、一人。 少女は、ただ一人で、空き教室のホワイトボードに大きくタイトルを書き、誰もいない教室に向かって大声を張り上げているのだ。 彼女の名は、霧越藍。 身長は145センチに満たない。もしかしたら130センチ代かもしれない。それくらい小さな少女である。顔の大きさに比べてあまりに不釣合いな眼鏡が、見た目の幼さを倍増させる。 生徒会執行部公安局。風紀委員会や環境整備委員会の上に立ち、学園の総ての平和と安寧を守る公安局の局長である。 彼女は局長であり、局員は他に数名いるが、今日は皆欠席である。 曰く、デートだとか。逢引だとか。逢瀬だとか。 「ってどれも同じじゃない!」 空しいツッコミが教室に響く。 さて、この彼女、霧越は、冒頭の台詞を聞けば判るように、【運命的出会い撲滅委員会】を明確に敵対認識している。 【運命的出会い撲滅委員会】は自主的な活動であり、この学園は、そんな生徒達の自由を阻害する法則は持っていない。 しかし、学園に所属する生徒諸君の平和と安寧を破るような存在は、あってはならない。個人の自由より公共の福祉。それを守るのが公安の役目だ。 「特に、特にあの! 忌々しい委員会長、奈良原白夜‥‥!」 手が痺れるくらいに握り締めると、その中にあったボールペンがぎりぎりと悲鳴をあげる。 「必ず、必ず目にもの見せてあげるわ。この学園でそんな横暴、生徒会長が許してもこの私、公安局長霧越藍が許さないわっ!」 「何を許さないって?」 「わあ!」 誰もいないと思って意気込んでみたらいきなり横から声をかけられる。 霧越は、自分でもびっくりするくらいの大声をあげて飛びのいた。 「‥‥奈良原白夜!」 「そんなフルネームで呼ばなくても良いだろう」 黒ずくめの長身女性が、あからさまに肩をすくめた。 ドアのふちに寄りかかり、腕を組んだまま、眼前に垂らされた髪の毛の向こうからこちらを見つめる。 さすがの霧越もたじろぐ。というか、奈良原は霧越にとって、ライバルというより天敵である。ウサギと競争することになったカメのごとくの関係だ。勝てるはずがない。 「あ‥‥あんた、いったいいつからそこに?」 「『皆さん! 今こそ、にっくき奴ら【運命的出会い撲滅委員会】を撲滅すべきです!』」 奈良原は、先ほどの霧越を真似してみせた。上手だった。 むかつくほどに。 「ってところから」 「最初からじゃない!」 「そうなのか? まあ私が来たときにはお前は、そのホワイトボードに【運命的】の「的」の字を書いているところだったが」 「やっぱり最初っからじゃないの!」 なんてことだ。こんな恥ずかしいタイトルを書いている段階から既に見られていたというのか。 霧越は内心の動揺を隠すように、殊更激しくつっかかっていく。 「ま、まあいいわ! 奈良原白夜! ここで会ったが百年目、よ!」 「はて?」 くくく、と肩を震わせ、笑っているらしい奈良原に、霧越は余計に怒りを募らせた。 「今日という今日は、【運命的出会い撲滅委員会】を撲滅してやるわ!」 「あなたにできるかな? 可愛いお嬢さん」 「――」 顔が火照る。これは怒りだ。純然たる怒りだ。 「こ、この‥‥」 「しかしどちらにしろだな、霧越局長。我々【運命的出会い撲滅委員会】はあくまで自主活動、有志であり、公式な活動ではない。生徒会に止める権限も、その方法もないはずだが?」 「そんなもの! 学園全体、生徒の総意に基づく公共の福祉の基本的保護の達成という目的によってあなたたちを不必要と判断させるわ!」 「だったらそれは生徒総会に持っていくんだな。ここではどうしようもないだろう。私は止める気はないしな」 くっくっく、といやらしく笑う奈良原。 「それとも、そうだな‥‥」 ふむ、と思考してみるふりをする。 「仮に、私をきみの公安局に入れてくれたら、活動を止めてもいいが?」 「はい?」 何言ってるんだこいつは。 ダメだ、話が通じない。本当にこいつと自分は同じ言語を使っているのだろうか。 霧越は頭を抱えた。 「――おっと、そろそろ行かねば、本日の活動に支障が出るな。では霧越藍公安局長、またお会いしよう」 「‥‥うるさいっ!」 それしか言えなかった。 ぐうの音も出ない、とはまさにこのことだ。 霧越は、奈良原が消えてしばらくしてから、「うがああ!!」と、教室を空しく振動させた。 それはあたかも、ライオンの咆哮のように。 * これまでも、奈良原と霧越が激突することは幾度もあった。 とはいえ、その総てにおいて、霧越の猛攻を奈良原がいとも軽く受け流し、最後にさらっとイヤミを漏らして消えていく、という、お決まりのパターンが展開されていたのだが。 つまり、霧越にとっては連戦連敗。一度として「打ち負かした」という気分になったことはない。 しまいには、彼女ら二人の言い合い(一方的な口撃)をいつもの光景として捉えられ、学園微笑ましい風景三十選にすら選ばれてしまったりしていた。 奈良原はそれすらも喜んでいたようだったが、霧越にとってそれは、公安局、ひいては生徒会本部への屈辱に他ならない。怒りは募っていくばかりだった。 ‥‥そんな光景を見つめ、物思う【運命的出会い撲滅委員会】の面々。 「最近思うのだけれど」一人の生徒が漏らした。 「奈良原会長、ここのところ、公安局長と仲良くない?」 「おいおいジョニー、仲が良いってのは、口げんかをしていることを言うのかい?」 「誰がジョニーだ」 「もっとも、口げんかしているのは公安局長だけで、うちの会長は軽く受け流しているようだけれどね、ハハハ」 「そこなんだよ」 「というと?」 「つまりだねワトソン君。会長は、霧越さんとの会話を楽しんでいる。その言葉の応酬、彼女から向けられる敵意、それすらも楽しんでいるように僕には見えるんだ」 「ふむ。なるほど。それは一理あるかも知れぬな。‥‥して?」 「まだ判らないのかい? ――だから、僕が言いたいのは、こういうことだよ」 「‥‥ま、まさか」 「どうしたキバヤツ!?」 「会長が‥‥あの会長が、我ら【運命的出会い撲滅委員会】内規、究極の第十一条に違反していると‥‥!?」 「な、なんだってー!?」 「あの十一条だと! まさか、そんな‥‥」 「しかしよく考えてみれば辻褄が合う。あの会長のご様子。今のこの状況を楽しんでいると見て間違いなかろう」 「あのう、十一条ってなんですか‥‥?」 「かあっ! これだから新入委員は!」 「いいか、よく覚えておけ。我ら【運命的出会い撲滅委員会】のメンバーが決してやってはならないこと。‥‥想像できるか?」 「‥‥‥‥判りません」 「馬鹿者! 思考しろ! 思考して発想して到着しろ!」 「‥‥あ」 「思いついたか?」 「もしかして、私たち自身が運命的出会いをしてしまうこと、ですか?」 「BINGO! その通りだ。きみは見込みがあるね」 「そしてこの内規十一条とは、[【運命的出会い撲滅委員会】に所属する総ての委員は、一片の例外もなく、自らが滅殺すべき対象になりうる運命的出会い、またはそれに準じた事態に陥ってはならない]という厳しい規則さ」 「それを守らないと‥‥どうなるんですか」 「内規六条その1により、他の委員会メンバー全員の審問にかけられ、弾劾される」 「更にその対象が管理職の場合、六条その2により、管理職の更迭及び委員会からの追放の刑に処される‥‥」 「そ、そんな‥‥」 「皆、忘れているようだがな。もう一つあるぞ」 「ほう、それは?」 「内規補足条項。内規に触れる可能性を二名以上の委員会メンバーが関知した場合、メンバーは対象者に対しそれを告知する義務がある」 「ということはつまり‥‥」 「そう。我々は、この事実を、会長に通達せねばならんということだ」 * 「‥‥なるほど」 黒衣の彼女は、別段表情を変えることもせず、蛮勇を以てその報告を持ってきた部下達を見つめていた。 「はい。内規補足条項に基づいて告知に参りました。お気をつけ下さい、会長。会長は我々の希望です。しかし、会長が内規に触れるならば‥‥」 「弾劾し更迭し追放する、か」 部下の言葉を引き継ぎ、奈良原は笑った。 心の動揺を隠しながら。 (や、そりゃまずいでしょ。ていうか私が霧越を? んなバカな。ははは) 内心の苦笑すら、乾いて虚空に響いた。 * 正直、それまではどうとも思っていなかった。 まさか自分のこの行動が、そんな目的に突き動かされた結果だとは思っていなかったからである。 霧越と話すのが楽しい。霧越をやり込めるのが楽しい。霧越が怒るのが可愛い。 ‥‥そんなこと。 思っていない。 本当か? ‥‥。 なるほどな。 奈良原は、自嘲する。 心の平静を保つために、あくまでクール+ニヒルにふるまってみせる。誰もいないのに。 【運命的出会い撲滅委員会】が掲げる"運命的出会い"には、大きく分けて二つの種類がある。 まず一つは、誰でも思いつく、ファーストミーティングにおける運命的出会い。 初めて会ったのに惹かれる。いわゆる一目惚れというシチュエーションを誘発する出会いだ。 そしてもう一つ。 セカンドインプレッションによる認識の変化。 つまり、冒頭における「捨てイヌにミルクをやる不良を見かけて胸がキュンとなる委員長」のように、これまで抱いていたイメージと正反対のイメージを与えられることで、対象への認識の仕方が転換することである。 実は、"運命的出会い"の多さとしては、後者のほうが断然数が多い。 結局のところ、一目惚れなんてほとんどありえないということなのだが、それにしても、【運命的出会い撲滅委員会】が積極的に排除するのは、そんなギャップによる胸キュン現象を未発に防ぐことなのだ。 今回の場合は‥‥やはり後者になるのだろう。セカンドインプレッション。 とはいえ。 奈良原は沈黙し、目を瞑り、暗黒の中で考える。 いかに自分がそうであったとしても、向こうがそれを捉えてくれない限り、ムダである。 【運命的出会い撲滅委員会】の"運命的"たるゆえんは、それが実際に起こると、必ず両思いになってしまうという恐ろしさにあるのだ。 その点、霧越に関してみれば。 (そうだ。いくら私がその気でも、向こうがその気でなければ‥‥) ふとそんなことを考えた途端、なぜか気持ちが暗くなった。 (‥‥うん? どうして私がそんなことで気落ちせねば‥‥ま、まさか) ぴしっ、と、自分の自尊心にヒビが入る音が聞こえた。一気に周囲が凍りつく。 (い、いやいや、さすがにそんな‥‥ははは。じょ、冗談じゃない。冗談じゃないぞ) ふらふらと廊下を歩きながら、奈良原は自分を叱咤する。 壁にぶつかったり消火器にぶつかったり警報にぶつかったりしながら、奈良原は自分自身と格闘していた。 (そ‥‥そう。ありえないさ。ありえない。ありえな) 「あっ、奈良原白夜!」 壮大にすっ転んだ。 後ろからの声。聞き間違えるはずもない。 「あ‥‥きり、ごえ‥‥」 「?」 地面に突っ伏している奈良原の正面までやってきて、霧越藍は富士山のように立ちはだかった。 両手を腰に当て、仁王立ち。 眼鏡の向こうの黒い瞳が、奈良原を容赦なく睨みつけている。 普段ならばそんな怖い目も受け流すことができるのに、今日はそれができない。 顔が紅潮するのがわかる。心臓が高鳴る。体温があがる。 (やばいよ。やばいってコレ) 「なんで視線逸らすのよ、こら、奈良原白夜」 それは、見上げるとスカートの中が見えてしまうからです、公安局長。 なんてことを言ったら、この立ち位置だったら間違いなく足蹴にされるだろう。 (それもまた良‥‥いやいやいやいやいや) 自分のとんでもない妄想をかき消すように首を振る。霧越はいぶかしむようにその様を見つめていた。 「あなた、こんなところで何してるの? また悪巧み考えてたわけ?」 「わ、悪巧みだなんて‥‥」 霧越の顔が正面から見られなくて、自然に顔を背けてしまう。 そんなことをすれば、霧越は更にどんどんつっかかってくるだろうに。 一刻も早くこの場から立ち去りたい奈良原だったが、しかし、それとは正反対の気持ちが生まれていることも否定できないでいた。 この声を聞いていたい。この姿を見ていたい。 (いやいや、いやいやいやいやいやいや) なんかもう、狂ってしまいそうだった。 「‥‥」 ふと気付くと、霧越は何も言わないまま、じっと奈良原を見つめていた。 「‥‥」 「‥‥なんだよ」 沈黙に耐えられず思わず口走ってしまったが、霧越は沈黙を守る。 「‥‥なんなんだよ、気持ち悪いな」 「失礼ね」 ぷいっと顔を背けてしまう霧越に。 (可愛い) 無意識のうちにそんなことを思ってしまうのだった。 「あなた、どうかした?」 「はっ?」 まさか心を読まれたか。 いやいや、いやいやいやいや、そんなことは。そんなことはない。 「いや全然全くこれっぽっちも一片の悔いなく問題ないが?」 「――ふうん」 言いつつ、霧越の疑いの眼差しは途切れない。 その視線に居心地が悪くなってきた頃、ふっと視界が翳る。 霧越が、膝を曲げて地面に倒れる奈良原に顔面を近づけてきた。 「な――なな」 「うーん‥‥」 人の顔を見て小難しそうに首を捻る霧越。 対する奈良原に冷静な判断力などカケラも残っておらず。 「もしかして、熱でもあるんじゃないの?」 霧越の冷たい手がおでこに当てられた次の瞬間。 奈良原は、意識を失った。 「――え? え、ええっ!? ちょ、ちょっと奈良原白夜!? どうしたのよ、ねえ!」 その後、通りがかった【運命的出会い撲滅委員会】のメンバーによって医務室に運ばれた奈良原は、間一髪のところで一命を取り留めた。 * 奈良原白夜弾劾特設会議。 「あの会長に勝つなんて無理だって」 「いや。いくら奈良原会長といえども、所詮は人間。我々と大差ないさ」 「同じ人間でも、最上層部と最下層にいる人間だと明らかに差があるじゃないか」 「ハハハ。心配性だな、ジミーは」 「誰だよ」 「しかし金田一君。現実問題として、ここはどう対処すべきなのだろうか。全員でかかっても、奈良原会長とは引き分けがよいところだ」 「ああ。会長を弾劾できても、それで委員会が活動停止になれば、苦労も水の泡だ」 「どうする‥‥」 「どうする‥‥」 「ざわ‥‥ざわ‥‥」 「ざわ‥‥ざわ‥‥」 「そっ、そうか! 判ったぞ!」 「どうしたキバヤツ!?」 「閃いたぞ。奈良原会長とぶつかることなく、あの二人の関係を破壊する方法が‥‥」 「そ、それは‥‥?」 「初歩の初歩だよ、ワトソン君」 「そうか! 奈良原先輩を倒せないなら‥‥」 「もう一方を、やればいい!」 「霧越藍。あの女を‥‥」 「滅殺せよ!」 * 「ちょいとそこ行く公安局長――」 「?」 移動教室の途中だったらしい、両手に教科書一式の入ったトートバッグを抱えた霧越を、呼び止める声がする。 くるりと振り向くと、そこに立っていたのは一人の女生徒と二人の男子生徒。 三人とも、左腕につけている【運命的出会い撲滅委員会】の腕章が眩しい。 「何か用かしら」 正面から立ちふさがるようにして、霧越は三人に向き直る。 身長は明らかに彼女のほうが小さいのに、そのプレッシャーは奈良原白夜委員会長にも、勝るとも劣らない。 勝手に逃げ出しそうになってしまう自分の足を叱咤しつつ、三人の委員会メンバーは気丈にも霧越藍を見下ろした。 「先日は我らが会長、奈良原白夜がお世話になりました」 「‥‥」 二人の男子を舎弟のようにして従えているその女生徒は、いきなり頭を下げた。 腰が直角に曲がっている。まるで応援団みたいな気合の入りように、霧越は内心引いた。 「‥‥ふうん。あなたたちの中にも、それなりに常識のある人はいるようね」 「ありがとうございます」 委員会メンバーの女生徒は、にこやかな笑顔を浮かべた。 「‥‥それだけかしら? だったら、謝罪は受け入れたわ。これから移動教室なので、これで――」 「もちろんお邪魔はいたしません」 慇懃無礼な奈良原の口調とは違う、心から丁寧に喋ろうとしているその話し方に、霧越は好感を覚えた。 彼女がまだ何か言いたそうだったので、なんとなくそれに付き合ってやることにした。 「つきましては、会長が霧越局長に直接お礼を言いたいそうで。誠に勝手なお願いだとは思いますが、付いてきていただけませんか?」 「‥‥」 奈良原白夜、その存在を関知して、霧越の胸が高鳴る。 緊張感。敵愾心。そういうものだ。そういうものに決まっているのだ。 彼女に会いたいと思ってしまうその気持ちを、無理やり敵意に変換する。 「だったらなぜ本人が来ないの?」 「先日の貧血を未だ引きずっているようでして。あの方は健康だけがとりえのような方ですが、そういう人間のほうが、一度崩れてしまうと案外もろくなってしまうといいますし」 まだ貧血が治っていない。 その事実に、霧越はずきりと痛みを感じた。 肉体的なそれではない。心の痛みだ。 かわいそうだ、と。 一昨日のあの様子、もしかしたら初めから調子が悪かったのかもしれない。 それを自分が無理やり引き伸ばしたから、結果としてあんなことになってしまったのかもしれない。 だったら。 私からも、謝らないと。 一日に一度は彼女の顔を見ないと、なんだかすっきりしないのだ。 そのおかげで、昨日は授業中に6度も間違えてしまったし。 「‥‥いいわ」 本当だったら二つ返事に承諾してしまいたいのを、霧越はたっぷり10秒は考えるふりをしてから、頷いた。 「そうですか。ありがとうございます」 心底ほっとしたように見えたメンバー女生徒の顔を見ると、奈良原も伊達にリーダーをやっているわけではないんだな、と思えた。 * 「‥‥で」 霧越藍生徒会本部公安局長は、怒りに眉間をぴくぴく言わせながら、屋上に立っていた。 彼女を取り囲むようにして、8名ほどの生徒が、男女織り交ざって立っている。 学年も性別も違う彼らに唯一共通する称号が、肩の腕章。 「【運命的出会い撲滅委員会】の皆さんは、こんなことをして私に何の用なのかしら」 そんなことよりもさっさと奈良原白夜に会わせろ。 と言いたくなるのを、ぐっと抑える。 「それとも、こんなところに彼女がいるとでも?」 霧越が睨みつけるのは、自分をここまで連れてきた偉そうな女生徒。 その少女の笑顔は、人を高みから見下ろすような、なんともムカツク笑みに変わっていた。 さっきまでの、あの可愛い笑顔はどこにいったのやら。 「見ての通りですよ、公安局長」 女生徒は肩をすくめた。 「我々は、【運命的出会い撲滅委員会】内規の第十一条に違反した基づいて、奈良原白夜委員会長を弾劾せねばなりません」 「――は?」 今、この少女は何と言ったか。 奈良原白夜を‥‥弾劾する? 「しかしながら、我々にかの会長に立ち向かうだけの能力はありません。というわけで‥‥」 じゃり。 女生徒が一歩前に歩み出る。 「代わりに、あなたを滅殺させていただきます、霧越藍公安局長」 その言葉と同時に。 周囲の生徒たちが、一斉に一歩前に出て、包囲を狭める。 「こんなことをして‥‥公安が黙っていませんよ」 「ふふ‥‥それはそれで構いませんよ。いい加減、我々を公式な活動として認めてもらいたいですしね」 彼らは今現在有志であるが、生徒会の認可を取れば公に活動ができる。 それは純粋に大手を振って歩くことができるだけでなく、活動にある程度の保障がつき、また、学校側から予算が出るのだ。 「冗談じゃない‥‥誰があなたたちなんかに、学園の貴重な予算を渡すものですか」 「だ・か・ら。そのための、公安局長なんですってば」 女生徒の笑顔は、まるで悪魔の最終通告だった。 「‥‥やってしまいなさい」 ぼそりと、低い声で、しかし全員に聞こえるようにその言葉が紡がれ 「待て」 それを止める声がした。 「‥‥!」 一斉に声のしたほうへ振り向く。 果たして、そこにあったものは。 黒いコート、黒い髪、黒い気配。 "完全漆黒"、奈良原白夜。 「奈良原‥‥会長!」 奈良原は、時折足をがくりと落としながら、それでもゆっくりと歩いてくる。 集団の方向へ‥‥その中心へ。 「あー、身体がふらふらする。なるほど、これが病弱少女の気持ちか」 「何いってんの?」 「お、局長さん。病弱少女が助けに来ましたよ」 「‥‥奈良原白夜」 そのまま奈良原は霧越の横を通り過ぎ、女生徒と霧越の間に立ちふさがる。 「ずいぶんと好き勝手してくれるじゃないか、副会長」 「‥‥それはあなたのせいです。それに、今の私は正式な会長ですよ、元会長」 「さっきは会長って呼んだくせにな」 黒いオーラがその背中から湧き出てくる。 周囲の生徒たちは、本能的な恐怖に身体を震わせた。 「さて、どうする諸君。このまま私と戦うか?」 オペラ歌手のように両手を広げ、ぐるりと周囲を見渡してみせる奈良原。 「私はいい。私はいいさ、弾劾だろうが更迭だろうが追放だろうが、好きにしてくれ。だがな。霧越藍に指一本でも触れてみろ」 奈良原が一歩足を進めると、周囲が一歩下がる。 二歩進めると、二歩下がる。 完全に、奈良原のペースだった。 「そのときは‥‥」 「そ、そのときは‥‥?」 ごくり。 「私の狼牙風風拳が牙を向くぞっ!」 「ヤムチャかよ」 * 仮にヤムチャであっても狼牙風風拳であっても、一般人が太刀打ちできる相手ではない。 それこそが彼ら【運命的出会い撲滅委員会】がその会長である奈良原を恐れていた理由であり、だから結局、奈良原は除籍という扱いでその場は丸く収まった。 「ったく、あいつら‥‥」 「あ、あの」 霧越は、勇気を出して。 こちらに背を向ける漆黒の少女に、声をかけた。 「‥‥なんだよ」 少女は振り向かない。背中で応えた。 「あ、ありがとう」 「‥‥私のせいだからな」 「えっ?」 ちら、と一瞬だけ後ろに目を向けた奈良原の頬が朱色に染まっているのを、しかし霧越は気付かない。 「迷惑かけたな」 「そ、そんなこと‥‥」 「――私は行くよ。また会えたらいいが‥‥無理だろうな」 「どうして‥‥」 奈良原は天を仰いだ。 「委員会から破門された私に行く場所など、ないからさ」 自嘲的な笑みが似合いそうなその台詞。 奈良原が昨日一日学校を休んで、この日のこのための台詞を練っていたことなど、霧越が気付くはずもない。 「運命ってものを信じても‥‥いいかもしれないな」 そのままニヒルにクールに去りかけた彼女へ、霧越は。 「‥‥待って!」 このまま行って欲しくないと、切に思った。 * それから三日後。 「【運命的出会い撲滅委員会】只今参じょ‥‥」 「待て待て待てぇ! 学園の蛆虫どもぉぉ!」 「えっ、奈良原さんなにやって――」 「バカ、逃げるんだよ!」 「どうして!?」 「奈良原白夜は寝返ったんだ! 生徒会に!」 「はっはっは! 愛はどんな障害も越えるのだ! お前たちも愛に目覚めろぉ!」 「ちょ、ちょっと白夜‥‥」 「どうした我がパートナー! そんなことでは奴らを撲滅することなどできないぞ!」 「この両極端!」 学園史には、この年で【運命的出会い撲滅委員会】は壊滅した、とだけ記されている。 しかし、その裏に、絶妙な離反により委員会を破滅に追い込んだ一人の黒ずくめがいることは、人々の心にのみ残っていたのだった‥‥。 |