演劇集団三色旗 第三回公演

人生最大の苦悩
-to be, or not to be-

[天衣無縫][霧越藍×奈良原白夜]


 帰る、と決めた。



 帰ろう。
「‥‥ま、それが妥当なところか」
 もう二年以上同じ教室に机を並べているとはいえ、まともに口をきいたこともない。
 彼女がどんな性格をしていてどんな生活をしているのか、今日この瞬間まで、ほとんど知らなかったといえるだろう。
 今でこそちょっとばかり知ったと思えるけれど、それもまだ彼女の"かけら"でしかない。
 まだ、彼女と仲良くなったと判断するには、気が早い。早すぎる。
 だいたい、今回合コンに付いてきたのだって、男が欲しかったからじゃないか。
 本人からはっきり聞いたわけじゃないけれど、それ以外の目的で合コンに来るやつなんかいるわけがない。
「やっぱ男か‥‥」
 こんなお嬢様でも、人恋しくなることがあるのだろう。当たり前だ。人間なのだから。
「でも、まあ」
 これで、彼女に一歩近づけた。
 明日学校に行ったら、彼女にノートを借りよう。そして今日の話をして、盛り上がろう。
 部屋の中を勝手に物色したことを謝って、映画を見せてくれとせがんでもいい。
 とにかく。
「これからだね。うん、これから」
 ベッドでぐっすりと眠っている彼女の寝顔を眺めれば、あるひとつの確信がもてた。
 私は、奈良原さんが好きだ。
 ずっと、目で追いかけていた。
 それは、私にないものを持っているから。
 私の憧れだったのだ。
 そして今。
 目の前で無防備な身体をさらして眠っている彼女を見て、思う。
 私は、貴女と仲良くなりたい。
 友達だっていい。クラスメイトでしかなくてもいい。
 でも私は、貴女ともっと仲良くなりたい。
 だって、判ってしまったのだ。
 私は、彼女に恋をしているのだ、と。

 私は、彼女の机の上に置かれていたメモ紙を一枚拝借して、書置きをした。
 一応、傘を借りることだけは断っておかないと。
 明日も雨が降り続いていたら、かわいそうだし。
 もしそうだったら‥‥傘返しに、ここまで来ようかな。
 さて。
 あまり長居するわけにもいかない。終電の時間が近づいてきた。
 私は、傘の件といくつかを書き残すと、ペンと鉛筆を机の上に置きなおす。
 そして、眠っている彼女の漆黒の髪の毛を、ゆっくりと撫でた。
「‥‥おやすみ」
 また、明日。



 次の日。
 二時間目の授業が行われる教室は、前の時間の授業がないので、まだ誰もいなかった。
 こういうときに限って知り合い連中がこぞって休むのは、いったいどういうつもりなのだろう。
 私は、そのさして広くない教室に入ると、電気をつけていつもの指定席に向かった。
「あの、霧越さん」
 足が止まる。
 後ろから、声がした。
 呼び止められて、止まって。
 そして、止まってから初めて、その声の主に思い当たった。
 心臓が高鳴る。緊張する。私はなんでもないように、ことさらゆっくり振り向いた。
「‥‥あれ、ああ、おはよう」
 彼女の顔がそこにあった。
「この授業取ってたんだ?」
「ううん、その‥‥お礼が言いたくて」
「わざわざ?」
「家、近いから」
「そっか」
 会話が止まった。
 彼女はどこか恥ずかしげに俯いている。私は、何を言うべきか悩んで、何も言えないでいた。
「‥‥霧越さん」
「――なに?」
 私は、この冷たい返答をする癖をどうにかしたほうがいいと思う。
 今まで家族や友人に言われても直そうとしなかったそれを、今ほど後悔したことはなかった。
「昨日はありがとう」
 それは、朝顔が花開くような明るさを持っていて。
 向日葵のように元気ではなかったけれど、それが余計に、彼女のはかなさを印象付けていた。
 綺麗。素直にそう思った。
 そして今、その彼女の笑顔は、私に向けられていた。
 それだけで、胸が弾む。高鳴る。耳元に心臓があるみたいだ。
「どういたしまして」
 その一言を出すまでに、数秒の時間が経ってしまった。
 無意識のうちに、喉がごくりと鳴る。
「それで、あの‥‥その」
 もごもごと、口の中で何かを言おうとして、でも言えない。そんな葛藤が感じられた。
 ――彼女もどきどきしてるんだ。
 私だって緊張しているけれど、彼女はきっと、それ以上に緊張しているんだろう。
 なぜなら、彼女にとって私は、たぶんただ冷たいだけの女という印象しかないんだろうから。
 そういうイメージを持たれるように行動してきたから、当然なのかもしれない。
 でも。それはイヤだった。
 彼女とおしゃべりしたい。彼女と仲良くしたい。彼女の笑顔をもっと見たい。
 そして今、その彼女は、何も言えずに俯いている。
 彼女が何を言いたいのかは判らない。でも、後押しすることくらいはできる。
 彼女がこんな性格の人間だってことくらい、充分判るじゃないか。そう簡単に、見知らぬ人に声をかけることなんかできるはずがない。
 だったら、せめて私が。
 私が、貴女を助けてあげる。
 そう思った瞬間、体が勝手に動いていた。
「えっと‥‥あっ」
 彼女の体が一瞬で硬直する。
 私が、彼女と肩を組んだからだ。
 さすがに、正面から抱きしめることはできなかった。それは、いつかのために取っておこう。
「風邪とか引いてない? 大丈夫? 昨日あのまま寝たでしょ。着替えもしないで」
「え、えっ‥‥と」
「まさかなっちゃんがあそこまで飲むなんてね。びっくりしたよ、私」
「へ? い、今、なんて‥‥」
「奈良原だからなっちゃんか。可愛いね」
「えっ」
 私が言うと、彼女は顔を真っ赤にして俯いた。うん、やっぱり可愛い。
 しかし。誰もいない教室で、肩を組んで会話する二人の女子大生。なんておかしな図。
 そう思うと、余計にゆかいな気持ちが押し寄せてきた。彼女が、数年来の気の合う友人であったかのように思えてくる。
 ――数年前からずっと見ていたのは事実なんだけど。
「なっちゃんの部屋、思ったより何もなくて驚いたよ。日向荘って、そういうところ厳しかったりするの?」
「そ、そんなことはないけど‥‥あまりごちゃごちゃしたのは好きじゃないから‥‥」
「へぇ、意外。ぬいぐるみとかがひしめいてるところを想像してたんだけどな、私」
「あっ、それなら」
 ぱっと顔を上げた彼女と私の顔が、ぶつかりそうなくらい近づいていた。
「わっ」
「ご、ごめんなさい」
 ふたりして猛スピードで顔を逸らす。私の顔、赤くなってないかな‥‥。
「私の実家‥‥長野なんだけど」
「うん?」
 彼女は、照れたように笑い、そして言った。
「実家の私の部屋、ぬいぐるみがたくさんあるの。持ってこようとしたらお母さんに怒られちゃって‥‥」
 ちっちゃく舌を出す仕草が、たまらなかった。
「そっか」
「うん。だから、私がぬいぐるみ好きっていうの、合ってる」
 もしかしてこの子は、私を気遣ってフォローしてくれたのだろうか。
 嘘だとは思えなかったから事実なのだろうけれど、そんな彼女のさりげない優しさが好ましかった。
 そして、気付かぬうちに私は言っていた。
「じゃ、いつか見に行きたいね」
「えっ?」
「私もね、実はぬいぐるみは大好き。可愛いものは好きなの」
 貴女みたいに、可愛いものはね。
「そうなんだ!」
 顔がほころぶ彼女が素敵だ、と心から思った。
「意外かな?」
 と私が言うと、
「ううん、そんなことない。私も好きだから」
 どきっとした。
 貴女はいつか、その言葉を、私に向かって告げてくれるだろうか。
 と、おかしな想像なんかしてしまって。
「あ、それから」
 私は、そんな妄想を悟られないように、慌てて話題を変えた。
「007、好きなの?」
「えっ!?」
 私が彼女のDVD収納箱を覗いてしまった話をすると、照れながらも、でも楽しそうに微笑んだ。
「でも、やっぱりおかしいよね‥‥」
 苦笑する彼女に、私は心から言った。
「いいと思うよ。私も好きだし。ただ、全部は見たことないけど」
「実は、私も。あるだけで、全部はまだ‥‥」
 恥ずかしそうに笑う彼女に。
「じゃあさ」
 私は、言った。
「今度、徹夜して二十巻制覇してみよっか」
「‥‥」
 ぽかん、と、彼女は私を見つめて。
「わあ、面白そう!」
 満面の笑みを、浮かべるのだった。

 貴女といる時間が、きっと好きになれる。
 今まで以上に、もっと。
 だから。
 いつか、貴女の家に行こう。
 たくさんのお酒と、たくさんの話題と、ちょっとのお菓子を持って。
 時間はたくさんある。きっとたっぷりある。
 きっと、楽しい夜になるよ。
 ね、なっちゃん。



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