演劇集団三色旗 第二回公演

わたしのすきなひと
-Whom my favorite is-

[和気藹々][椎葉朱里×奈良原白夜]


「おーい、あっくーん」
 わたしはその声に、洗面台の鏡とにらめっこしたまま返事した。
「なにー?」
「ちょっと来てー」
 聞きなれた甘ったるい独特の声。
 わたしはため息をつきながらドライヤーの電源を落として、洗面所を出た。
 見れば、あの人の寝室のドアが開かれていて、そこからひらひらと伸びる白い手。
「ちょっとちょっとー」
「はいはい。今行くから」
 くしゃりと頭を触れば、まだ微妙に濡れていた。
「ね、ね、見て見て」
 部屋を覗くと、その人は両手に一着ずつ洋服を持って、わたしのほうに突き出した。
「どっちがいいかな?」
「‥‥どっちでも」
 そっけなく答える。すると彼女は、
「あーん、ずるいよ。答えてよ」
「白夜さんはどっちがいいの?」
「え? 私? うーん、そうだな、こっちかな?」
「じゃあそっちにしたら」
「あー、ひどいー!」
 自分が気に入ったならばそれにすればいいのに、なぜこの人は、こうもわたしに依存するのだろう。
 わたしとこの人とは、ずいぶん年が離れている。
 その割に、一応女であるわたしを「あっくん」などと気色悪い呼び方をするこの人は、わたしが小さいときからずっとわたしのそばにいた。
 環境が特殊だったために、彼女に年が近い友達がいなかったせいかもしれない。
 おかげでこの人はこんな甘えん坊に育ち、おかげでわたしはそれなりに自律できるように成長したのだろうけど。
「そんなに服装に気を使うことないって。わたしだっていつもどおりなんだから」
 わたしが言うと、白夜さんはそれを、わたしが慰めたのだと解釈したらしく、頬をふぐのように膨らませてしまった。
 これがまた、妙に可愛いからたまらない。
「あっくんと歩いて、恥ずかしくないようにしなきゃいけないんだから」
「‥‥」
 ずいぶんと気合が入っていることで。
 わたしは内心の嬉しさを隠すために白夜さんに背中を向けて、好きにしたら、と呟いた。
「でも個人的には、ワンピースはどうかと思うよ」
「え? そうかな‥‥」
 白夜さんは、右手に持っていた純白のワンピースをしげしげと覗き込む。
 しばらく何かを悩んでいるような表情だった彼女が、はっと気付いたように顔を上げて、わたしに言った。
「それだったら、あっくんだってもっと女の子っぽい格好しなくっちゃ。やっと高校生になったんだから」
「余計なお世話ですよ」

 今のわたしは、ごく普通のTシャツにジーンズ。
 女の子らしくないと言われればそれまでだけど、楽なんだからいいじゃないか。
「しかたない。それじゃ、スカートにしよっと」
 名残惜しそうにワンピースを眺めながら、白夜さんはいそいそと着替えを始めた。
「おわ」
 目の前でズボンを脱ごうとするものだから、わたしは慌ててドアを閉めた。
 するとその向こうから、
『あれ、行っちゃうの?』
 なんて声をかけてくる。
「親しき仲にも恥じらいあり、って言ったのは白夜さんだよ」
『そうでした』
 えへへ、と笑いながら着替えを続けているらしい彼女の部屋の中から、衣擦れの音が聞こえてくる。
『今日はあったかいかな?』
「そうじゃないと困るけどね。わたしTシャツ一枚だし」
 なんていう他愛のない会話をドアの中と外で交わすこと、およそ5分。
 『着替え完了』という声が聞こえてきてわたしがドアから離れると同時に、それが開いて中から白夜さんが出てきた。
「お待たせ」
「はいはい」
 年甲斐もなくその場をくるりと回ってみせるその人に呆れつつ、わたしはその人が手にしていたバッグを手に取った。
「あれ、持ってくれるの。嬉しいな」
「いいから。早く行こう?」
 言うなりわたしは玄関に向かってつかつか。
 白夜さんも、親ガモを追う子ガモのようにつかつか。
 やがて玄関を出て、眩しい太陽の光に二人揃ってさらされた。
「いい天気」
 どちらともなく、言う。
 白夜さんはしっかりと鍵をかけて、ノブをかちゃかちゃ回して一通り確認すると、「よし」と頷いた。
「じゃ、行こ」
 ぱっ、とわたしの腕を取って、絡ませてくる。
「‥‥全く」
 にこにこと満面の笑みを浮かべる彼女を見ては、歩きにくいとも暑苦しいとも言えない。
 わたしは何度目かのため息を飲み込むと、バッグから日傘を取り出した。
「あっくんとデートなんていつぶりかな?」
 と、白夜さんは影の下でにこやかに笑う。
「2週間ほど前にデパートへ出掛けたのはデートって呼ばないの?」
 わたしが言うと。
「いいの、そういう気分なんだから」
 見るからに「楽しそうだな」という気分が伝わってくる、この人の笑顔には勝てないな。
「ところで、あっくん」
「なんですか、白夜さん」
 わざとらしく返事をすると、彼女はぴっ、と指を一本突き出して、わたしの唇に当ててきた。
「いつも言ってるでしょ」
 得意げに胸を張って。
「外に出たら、お母さんと呼びなさい」
 そう、お母さんは笑むのだった。


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