演劇集団三色旗 第八回公演

私立探偵と女刑事
-a girl who I killed-

[二律背反][奈良原白夜×椎葉朱里]


 警察という組織は、自尊心と虚栄心からできている。
 警察という仕事は、いかに他人を体よく扱うかを学ぶには最高の職場だ。
 警察と書いてプライドとルビを振るのが一番正しい読み方だと思える。
 そしてそうした彼らが探偵を嫌うのは本能行動であり反射行動なのだ。
 だからこのとき私が現場に足を踏み入れた途端周囲の視線が急に冷たくなったのも仕方ないことだった。
「またあなた、探偵」
 奥の部屋で現場検証の指揮を執っていた紺色のスーツ姿の捜査官がこちらに歩み寄ってきて侮蔑の表情を隠すことなく言った。
「死んでいるのか」
 私はそれを無視して現場の情況を尋ねる。彼女はなぜそんなことに答えなければならないのかと顔で返事をした。
「ほんの一年見ない間に警察は現場検証の技術を退化させたのか? なぜ私が来たのかを知りたければ本人に聞けばよいだろう」
 九ヶ月前に作ってから四枚しか減っていない名刺のひとつがこの部屋のどこかに必ずあるはずだった。
「――どういうこと」
「どうやらあんた自身も退化したようだな。それともどれだけ上手く書類をさばけるかの研究に没頭していたのか?」
「なんですって」
「警部!」
 私の胸倉を掴みかけた彼女の手が空を切る。彼女が先ほどまでいた奥の部屋から鑑識のユニフォームを着た男が現れた。
 彼女はどうやらこの一年間を昇進試験に費やしていたらしいと思った。
「これを」
「なに? ‥‥」
 鑑識の男が手渡してきたビニールの袋に入った一片の紙切れに彼女は目を落として、すぐに顔を上げて私を睨んだ。
「これ、あなたの名刺かしら」
「私の名前が書いてあるならば私の名刺だろう。同姓同名の人間であれば話は別だが」
「そうね。こんな名前でこんな肩書きの女は世界中捜してもあなただけだわ」
「世界中を捜す前に日本中をまず捜すことをお勧めするぞ、警部。こんな名前を付けるヨーロッパ人はいないだろう」
「黙りなさい」
 相変わらず命令口調が様になる女だと私は思った。
「これでなぜ私がここに来たのか、あんたにも理解できただろう」
「ええ、できたわ。あなたをわたしの城まで案内する理由がね」
 私よりも背の低い彼女は、理知的な眼鏡の奥から私を真っ直ぐに見上げて強い口調で言った。
「奈良原白夜、あなたを本件の重要参考人として召喚します。署までご同行願えるかしら」
 もちろんそれを受け入れる必要などなかったが私としても状況を把握するだけの時間と資料が欲しかったので、了承した。
「その前に服を着替えたいんだが。今朝はそこのカプセルホテルに泊まったのでね、綺麗な女性と対面するには準備が足らないんだ」


 警察という人種は、どうも世間の誰もが自分達の味方であると錯覚しているらしい。
 また、それが敵わない場合に、暴力と圧力で修正する権力を持ち合わせていると誤解しているらしい。
 私が彼女と第三取調室に篭って二時間が経過しようとしていた。
 部屋の中には、ステンレスのテーブルを挟んで向かい合う私と彼女の他に、書記官がひとり、クラス中からいじめられて誰とも一緒に給食を食べることのできないでいる子供のように壁に向いて座っていた。
「もう一度聞きます。よろしいですか」
「よろしいですとも。もう一度答えるだけだ」
「‥‥あなたは、あの家に何の目的で行ったのですか」
「私立探偵としての仕事の一環として」
「あの家の住人とは顔見知りでしたか」
「相手を知らずに探偵ができる技術があるならぜひ教えてもらいたいものだ」
「先日の午後十一時から午前七時まで、どこで何をしていましたか」
「カプセルホテルに問い合わせた方が早い」
「‥‥これで四度目ですよ」
 四度それぞれ微妙にニュアンスを変えて助詞などは変化させて言ってみたのだが効果はないらしかった。
「――えっと、あなた」
「は?」
 彼女は唐突に後ろを振り向き、精神異常者のごとく壁に話しかけているようだった書記官に声をかけた。
「これまでの四度の供述、メモしている?」
「はい」
 供述書がワープロでできるならばコピーアンドペーストをして数秒で済む作業のはずだった。
「もう新しい供述は望めなそうね。ちょっと席を外してくれる?」
「え? しかしそれは――」
「いいから。あなたも疲れたでしょう。誰かに何か言われたら、わたしの名前を出せばいいから」
 そう言って警部は制服警官を第三取調室から追い出した。
 足音が遠くに去るのを二人でしばらく黙って聞いていた。
「――で」
 目に見えて目の前の女の態度が悪くなる。
 上司の息が臭いだとか脂汗が気持ち悪いだとか、ただの逆恨みを立派な愚痴だと誤解して公開しているオフィスレディのようだった。
「またやっかいなときに現れたわね、あなた」
「それについては同感だ」私は頷いた。「依頼人が殺されるとは思わなかった」
「‥‥」
 彼女は両脚を組んで、ステンレスのテーブルに片肘をついて、掌の上に顎を乗せて私を見つめる。自然と上目遣いになっていた。
「その口ぶりだと、逆はありそう、とでも言いたそうね」
 彼女はあくびを噛み殺した。つられて私もあくびが出そうになる。あの『スパイラル』とかいう、ぐっすり眠れそうにない名前のホテルで四時間は寝たはずだったが、体中のあちこちが軋むように痛い。
「依頼人が殺されるとは思わなかったけど、依頼人が殺すことはあると思った?」
「‥‥」
 私の言葉の裏を突いたわりに彼女は嬉しそうな表情を見せることはなく、これもルーチンワークの一つであるかのような表情でぶつぶつと何事かを喋っていた。
「ったく。なんだってこんなときに乃木坂のヤツはいないのよ。外部組織での研修ですって? いい年した大人が今更ボーイスカウトの真似事? そんな税金使う余裕があったら少しくらいこっちの給料に上乗せしろっつうの」
「あんたはもっと真面目に働いた方がいい」
「うるさい」
 まるでゴキブリでも見るかのような目つきだった。あながち間違ってはいないだろう。
「で。あなたが請け負ってた仕事って、何?」
「あんたの今日のパンツの色は?」
「は?」
 質問を聞き取れてもその意味が把握できなかったとでも言いたげに、彼女は目を丸くして私を見た。
「残念だが」私は言った。「プライベートだ。その質問には答えられない」
「‥‥あなたね。これは刑事事件なのよ。殺人事件。そんなこと言ってられる状況なの?」
「ではこれは私の素直な欲求だ。私は今あんたの下着の色が知りたくて仕方ない」
「なぜ教えなきゃいけないの」
「なぜ教えなければならないんだ」
 彼女は逡巡するように恨めしそうに私を横目で睨みつけていた。
「依頼人も決して安くない料金を払って私に全幅の信頼を寄せ交渉に応じてくれた。だから私はその信頼に応えられるよう全力で仕事に取り組んだ。その仕事内容をただで横取りする気か」
「――お金が欲しいってこと?」
「下着の色を教えろと言っている」
「‥‥あなた、ときどき本当にわけわかんないわね」
 怒りを通り越したらしく、それは呆れのため息だった。
「なんであのとき、わたしはあなたなんかに助けられちゃったのかしら」
「それは私の依頼内容がたまたまあんたの監禁されていた場所にあったからだ」
 もう7年も前のことを、彼女も私もよく覚えているものだとふと思った。
「お互い老けたわね」
 その言葉はただの呟きだったようで私に同意を求めているようでもなかったが、否定できる事柄ではなかったので私は黙っていた。
「事件を解決に導きたくないの?」
「別に」私は答えた。「依頼をこなす途中で契約が破棄になってしまっただけだ。料金も前払い分しかもらっていない。このまま調査を中断する」
「悔しくないの? 依頼人と探偵って言っても、知り合いが殺されたのよ?」
「悔しくはない。残念なだけだ」
 それは嘘だった。しかしどうしようもなかった。
「協力する気はないのね、今のところは」
「恐らく永遠に無いさ」
「そう。仕方ないわ。気が変わったら連絡して。携帯の番号は知ってるでしょ」
 私が頷くと、彼女はパイプの椅子から立ち上がった。
「もうこんな時間。お昼どうする?」
「適当にどこかで済ます」
「そう。わたしは――無理そうね。少なくとも昼間にのん気に外でご飯なんて」
 彼女は苦笑してドアノブに手をかけた。
 回して押し開くと、その向こうに先ほどの書記官が立っていた。
「あら、待たせた? ごめんなさい。さっきと同じことしか言わなかったわ」
 彼女が疲れた顔をしているのを見て、書記官はそれを信じたらしく、首を縦に振るだけでその場を去った。
「さ、どうぞ探偵さん」
 ドアを開いたまま立っている彼女の横を私はすり抜け、追い抜き様に言った。
「被害者の身辺で最も怪しいのは飯沼という男だということになるはずだ」
「‥‥」
 彼女は驚いた表情を見せず、あくまでもなんでもないような顔で、私のほうを見ることもなく、耳だけをそばだてている。
「遺憾だがそいつには完璧なアリバイがある」
「あなたが尾行してたのね」
「捜査をするならば別のラインからのものを重点的に考えることだ」
「あなたが真面目に仕事をしていたならね」
 彼女とすれ違って、そのまま私は歩きなれた警察署の廊下を、出口に向かって進んだ。
 最後に彼女が小さく呟いた一言が耳に届いた。
「あなたも容疑者の一人であることを忘れないように」
 私達は、それ以上何も言わずに別れた。



<前の公演 次の公演>


三色旗メニュー