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『雛祭り』
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 雪が降った。
 彼女は、あまりそれが好きではなかったりする。
 冷たいし。寒いし。白いし。
 それになにより、こんなときに限って外に連れ出されるから。
 彼女は、自分自身を猫と例えるならば、もう一人の少女は犬なのだろうな、と思った。
 曰く。
 ――犬は喜び庭駆け回り、
「猫はコタツで丸くなる、か」
 羨ましいことだ。
 二月が三月になったからといって途端に温かくなるはずもなく、未だに圧倒的な存在感をもたらすストーブの正面、三人掛けのソファの上で一人丸くなっている彼女。
 ゆきという名のその女性は、視界の端にぼんやりと映る紅い階段に意識を向けた。
 ストーブよりも更に大きな存在感というか、これはもはや圧迫感に近い。
 仕舞い忘れたら行き後れるといわれる呪いのアイテムが、そこに鎮座ましましていた。


「〜〜♪」
 なにやら楽しそうな声が聞こえてくる。リズムに乗って、何かの歌だろうか。
 ハードカバーの本を抱えて廊下を歩いていたゆきは、そんな声に耳を傾けて、リビングに顔を出した。
 するとそこには、五段重ねの雛飾りの前で可愛らしく歌なぞ歌っている少女が一人。
 今年で高校三年生になろうというのに、この子供っぽさは何だろう。
「♪明かりをつけましょばくだんにー」
 ピンク色のセーターはともかく、下に履いているのは膝上十センチくらいのミニスカート。
 寒いだろうというかなんというか、相変わらず目のやり場に困る服装だ。
「♪お花をあげましょどくのはなー」
 部屋の中はぬくぬくとあったかい。
 テレビだとかCDコンポだとかが置かれていてお世辞にも静かとはいえないけれども、冬場はここで読書をするのが一番だということは判っているから、ゆきはその中に足を踏み入れた。
 見れば、少女は歌を歌い続けていてこっちに気付いていない。
「♪ごーにんばやしはふっとんでー」
 そういえばあの寒がりの寂しがり屋はどうしたのかと見渡してみると、少女の太腿の上で気持ちよさそうに眠っていた。
 ウサギとはいえ、生意気な。いや、そういう問題じゃないか。
 それよりも。とにかく。
「♪きょーおはたのしいおそうしきー」
「ちょっと待ちなさい」
 歌が一段落したところで、ゆきは持っていたハードカバーの背表紙で、少女の頭を叩いた。
「ふぎゃ」
 漫画みたいな声を上げて少女は、不満げにこちらを見上げてくる。
「なんて歌を歌ってるの、キミは」
「むー」
 そんな涙目で睨んでもダメですよ。
 心のどこかでそんな彼女の表情に悦を感じている自分がいることは無視。
「叩かなくったっていいのに」
「縁起が悪い歌を歌うんじゃない」
「えー、でも、有名だよ?」
「僕は知らない」
「ゆきさんは無知だからなあ」
 なんて、へらへら笑い始めた。
 しかし、なんだ、その歌。爆弾に明かりをつけてどうするというのだ。
「や、だから、爆発させるの」
「真面目に解説しないでよ。なんだってそんな歌、歌ってるのかが問題」
「いやー」
 あはは、と、照れくさそうに笑う。別に誰も褒めてるわけじゃないんですがね。
「これ見てたら、思い出しちゃって」
「全く。せっかく持ってきてくれた麻生さんに失礼だろ」
「うーん」
 雛飾り。
 階段の数は五つ。
 お雛さまとお内裏さまと三人官女と五人囃子しか知らない。
 そんなことはともかく。
 この雛飾り、とんでもない。
 五段しかないのに、五メートルはある。一段一メートルということだ。ビッグライトでも使ったのだろうか。
「しかも、人形とか妙にリアルだし」
「髪の毛伸びそうだよねー」
 物騒な。
「こんな、超合金ロボットサイズのお雛さま見たの初めてだ」
「どうして、ゆきさんってちょーごーきんとか知ってるのに替え歌知らないんだろうね」
 普通に突っ込まれてしまった。
「‥‥そういえばさ、知ってる?」
「なになに?」
 食いつきが良すぎるのもどうなんだろう、とたまに思うけれど。
 立花陽はそういう少女なのだから、仕方がない。
 それに、こうして話すのがゆき自身も好きなのだから、余計仕方がない。
「三人官女の真ん中って、人妻なんだって」
「え、ゆきさん、人妻萌え?」
「萌え?」
 この少女、なんか今とんでもないことを口走ったような気がする。
 そんなゆきの心配をよそに、陽は腕組をして、首を捻って、なにやら色々思案している。
「人妻かあ。そりゃさすがに無理だなー。うーん」
「いや、あのね、みなみちゃ」
「略奪――そう、略奪愛! ね、ゆきさん、略奪愛になら萌える!?」
「だから何を云ってるんですかキミは」
 最近の女子高生からは、どうしてこんな不穏な言葉がぽんぽん飛び出るのだろう。
 それとも、これは彼女だけの特質なのだろうか。普通の女子高生を知らないから何ともいえない。
 ただなんとなく、彼女の周りはきっとこんなのばかりなのだろう、と思ったりもした。
「略奪っていうか、アレだよね、ほら、愛する人を守って息絶えるとか、かっこいいよね? ね?」
 また暴走し始めましたか、この娘は。
 もうここまで来てしまえば勝手に突っ走る。どこまでも。止まらない。
 ついさっきまで気持ちよさそうに丸くなっていたウサギのりおは、迷惑そうに寝床の提供者を見上げている。
「うーん、銃撃戦もいいけど、やっぱ燃えるのは殺陣だよね、殺陣! 日本刀のぶつかり合う火花とか、もう最高」
「‥‥」
 もう止まりそうにない。
 ゆきは諦めて、ストーブの近くに横たわるソファに腰掛けた。
 と同時に、その隣に黒い影がちょこんと陣取る。りおも逃げてきたようだ。
「ねえねえ、ゆきさん」
「はいはい」
 陽は、ソファの背中からゆきの首に手を回して、甘えるような声を出す。
 耳元にかかる吐息がくすぐったくて仕方ないのだけれど、それを口に出すときっと調子に乗るから、ゆきはそれを云うことはしない。
「お内裏さまやって、お内裏さま」
「はい?」
「ほらほら、お内裏さま」
 言いつつゆきに差し出してきたのは、
「‥‥なにこれ」
「うん、しゃもじ」
「ごめん、それくらいは知ってる」
 だから問題なのは、どうしてしゃもじを持たせるのかということでしょう。
 困惑満点な顔で、ゆきは隣に座った陽を見つめる。
「お内裏さまの、ほら、なんだっけ、扇子みたいな、あれの代わり」
「笑えるね」
 これを両手で持てと言うわけだ、この家のお雛さまは。
 多分、自分が傍観者だったら笑って死ねるだろう。そうゆきは自己分析する。
 なのになんで、この娘はこんなにノリノリなのだろうか。謎すぎる。
「十二単の代わりだよ、ほら」
 カーディガンとフリースとパーカーとジャンパーとコートと学校の制服の冬服と父親の半纏を着込んで、ふらふらと重そうにお雛さまは現れた。
「‥‥」
 これは強烈だ。
 関西人でなくとも頭を叩きたくてうずうずしてくる。ああ、もう。
「お雛さまだよー」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥陽ちゃん?」
「暑い」
 期待を裏切らないコメント、ありがとう。
「うう。暑いよう」
「脱いだら?」
「や、えっち」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 この悶々とした気持ちをどうしろというのだ。形容できないこの気持ちを。叫びたくなるこの衝動を。「このバカ!」って云えたら、どんなに楽か。
「ゆきさん、ゆきさん」
「なんですか」
「なんかさ、しゃもじ持ってると、間抜けみたいで可愛いね」
 ああ、頭をかきむしりたい。
 爆発寸前の活火山みたいなこの憤りは、どう、どう、どうすれば。
「このままずっとお雛さま出しっぱなしにしてもらえないかなあ」
「――なんで?」
 今度は何を云い出すのだろうか、お雛さま。
「お嫁になんか行かなくていいのに」
「‥‥は」
 ぼそっと小さな声で放たれたその言葉を、ゆきは聞き間違うことなく耳にした。
 それだけで、これまで抱いていたマグマの熱波が一気に消え去る。
 反則だ。反則だよ。
「わたしのお嫁さんになるなら別だけどね」
「僕の話なのね」
 そんなふうに笑顔を浮かべられてしまったら、怒りの出番が無いではないか。
 こて、とソファに倒れこむ陽を見ながら、ゆきは思った。
 これを仕舞うように頼まれたのは自分なのだけれど。
 忘れていたということにしておいて、しばらく黙っていよう。
 こちらとしても、当分の間は、彼女に嫁に行かれるわけにはいかないのだから。


crux---End

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