さて、目下の問題は。 この修羅場を、どう切り抜けるか。 レーベから出発した、自称<正義の味方>こと武闘家ラーンは、途方に暮れていた。 朝と昼の間の時間に村を出て、今はもう昼と夜の間の時間。 それまでの間ずっと、森をさまよい続けていた。 「適当に歩いてれば、いつか見つかるでしょ」 と、計画性の欠片もなく出発したのがそもそもの間違いだった。 レーベの南に広がる森の中。そこに、ナジミの塔へ繋がる地下道の一つがあるはずだ。 ――とは、レーベ村人の弁である。 現在、盗賊団の巣窟となっている(はずの)ナジミの塔は、かつてはアリアハンの防衛拠点だった。 そう言った意味もあり、連絡路が縦横無尽に、アリアハンの地下に走っている。 噂だと、王都の城の中、それも監獄に繋がる道もあるというから、驚きだ。 「‥‥なんて、現実逃避してる場合じゃないか」 彼女は思考より先に行動するタイプだったが、それが概ねよい結果にはならないことを理解できないほど、ばかではなかった。 それを理解しておいてなお考えるより先に動くのだから、ばかだと言われてもしょうがないのではあったが。 「話が通じる相手じゃないしね」 あはははと、自分の笑いすら乾いて聞こえる。 これは本格的に、ピンチだった。 「とりあえず――」 選択肢。 戦うか、逃げるか。 相手。 角の生えたバケモノウサギ、7匹。 「うん、逃げよう」 彼女は決断は早かった。 考えるということを伴わない決断だから、それは思考ではなく行動でしかない。 というわけで。 ラーンは逃げ出した。 * * * アリアハン王都から大陸中に走る公道。 もっとも、魔女の襲来があってから、人々の安全な旅を約束する公道護衛兵はすっかり少なくなり、道の上ですら魔物に出会う機会が多くなった。 そういうことがあるから、道行く商人が荷物を奪われてしまったりするケースが多くなるのだった。 例えばそれは魔物だったり。盗賊だったり。 勇者と僧侶の少女二人組は、アリアハンを出て北に向かい、橋を渡った。 この橋はナジミの塔に流れ込む大河にかかる橋であり、この橋がなければ、実質大陸は二つに分裂しているように見えるほど、長い距離を走る川が大陸の真ん中を貫いていた。 橋の辺りは宿場町になっている。 王都からここまでは、大人の足でほぼ一日。その疲れを癒すための宿場だったので、二人は一晩をここで明かした。 初めての、王都を出た外泊だったユニは、そのことと隣にアルカがいることの二つの意味で眠れぬ夜を過ごしたようだったが、アルカはそんなことお構いなしに寝息を立てていた。 その寝顔を盗み見ながら、もしかしたら、これくらいの度胸がないとこれからやっていけないのかもしれない、とユニは思った。 野宿するコトだって、イヤだけど、あるかもしれないのだから。 そして翌日。 宿場町で手に入れた大陸の地図を眺めたアルカは、公道を通って森を迂回するのではなく、その森を突っ切ってレーベへ行くルートを選んだ。 なぜかと問うユニに、アルカはこう答えた。 「だって、こっちのほうが近道じゃん」 森は障害物が多くてまっすぐ進めないかも知れないとか、木々に遮られて太陽が見えなくなったら自分の位置も確認できないとか、魔物が溢れる森はそれだけで危険だとか、ユニは色々と説明したが、アルカは聞く耳を持たなかった。 最終的には、アルカの破壊的な一言。 「大丈夫。ユニはぼくが守るよ」 それだけで陥落してしまったといっても過言ではなかった。 そうして。 森を歩く影ふたつ。 「あ、暑い‥‥」 呻いたのはアルカだ。 ユニは、だから言ったのにと心の中で呟きつつ、でも彼女の言葉を否定できない蒸し暑さに辟易していた。 木々は太陽の光を遮る。位置を掴むのには少し問題だが、暑さをしのぐ意味では悪くなかった。 問題は、風が吹かなかったことだ。 二人には、足元の落ち葉からすら、湿気が漂ってくる気がしていた。 「アル、少し休むですか?」 「うーん‥‥もうちょっと行ってからが、いいな‥‥」 ここ、暑いし、と、アルカがぼそりと呟いた。 同感、と、ユニは口を動かすだけだった。声を出す気にすらなれない。 魔物が出ないことが、唯一の救いだった。 これは暑さのせいかもしれなかったが、単純にさっき振りまいた聖水の効果かもしれなかった。 それでも時々現れる根性のあるスライムや大ガラスを、アルカは気だるげに一刀両断。 ユニは最初こそ怯えたが、そんなものは昨日一日で慣れてしまっていた。 というより、今はもっと切実な問題があるから気にならないだけかもしれないが。 そんなものなどどっちでもいいと考えるくらい、ユニは疲れていた。 そもそも、さっきの「休むですか?」は、アルカへの問いかけではなく、ほとんどユニ自身の願望だったのだ。 アルカが嫌だと言う以上、足を止めるわけにはいかない、だから歩いているだけだった。 「あ、アル‥‥」 「んー?」 「わたし、もう――」 「――うわあああああああ!」 ユニの、ただでさえ消え入りそうな声に割り込んで、どこからか悲鳴が聞こえてきた。 「‥‥?」 アルカとユニは顔を見合わせた。お互いに、相手が声の発信者でないことを確認した。 「なんだろ?」 アルカが声を低くして言った。 「人の声、でしたです」 「女の人かな」 「悲鳴、です‥‥」 「ああああああ!」 声はどんどん近づいてくる。 ふとユニが、視界の端に映った何かに目をやった。 そこに。 何かがいた。 「アル、あれ」 ユニの指差す先を、アルカも見つめた。 それは、一人の人間。 年齢は性別は判断できないが、さっきの声と同一人物と見て間違いなかった。 というか、今もそれが声を上げている。 声から判断すれば、女性だった。 猛スピードで走ってくるのを見ると、年寄りというわけではなさそうだ。 だが、どうにも足音が多かった。 あの少女が、見た目に反して体重が凄まじいことになっているのでない限り、あの少女は一人で走っているわけではないことになる。 追われている? そして少女の足元に見え隠れする、白くて大きな獣の姿。 「あれ!」 「うん」 アルカが頷いて鋼の剣を抜いた。 一角ウサギ。 額に生えている角で突き刺すことで攻撃してくる、ウサギというにはあまりに巨大な化物だった。 それが、数匹。 動いているので、数までは確認できなかった。 「――ユニ」 「は、はい」 アルカの声色が変わった。ユニが息を呑んで、隣の少女を見上げる。 彼女はユニを見ることもせずに、正面を見据えたまま続けた。 「一角ウサギはぼくが。ユニは、あの子をお願い」 「わかりましたです」 お願いと言われても、やることは誘導と治療くらいだ。 誘導はともかく、治療は一段落ついてからでもできる。 だからユニは、敵をまとめて引き受けると言い放った勇者を心配そうに見つめた。 「アル‥‥」 「ぼくは平気。あんなのに負けない」 最後に少しだけユニに振り向いて、アルカは微笑んだ。 それだけで、ユニは安心できた。 あとは、自分に与えられた仕事に専念するだけ。 「いくよ」 「はい」 ユニの返事を待たずに、アルカは駆け出した。 こっちに逃げてくる少女のほうへ、まっすぐと。 まるでぶつかってしまいそうなくらいまっすぐな、疾走。 少女は、「うわあああ」という悲鳴の間に、アルカを見つけて「へっ!?」と素っ頓狂な声を出した。 その少女に追いつきそうになっていたウサギが一匹。 アルカは、少女とすれ違いざまに、その一匹目の一角ウサギを袈裟斬りにした。 「こっちです!」 ユニは精一杯の声を出して、自分とすれ違っていった少女に唖然としている髪の長い彼女を誘導した。 「へ?」 また、素っ頓狂な声。 アルカを目で追っていた彼女は、自然と、振り向くように首を後ろに向けたまま走っていた。 その状態で、進行方向にいるユニに気づく。 が、気づいたときには遅かった。 ほとんど正面衝突のようなかたちで、ユニは少女を抱きとめた。 * * * アルカは、一匹目を斬り殺してから二歩で止まった。 と同時に、猛スピードで駆けていた二匹目を横一文字に切断。 返す刀で、三匹目を切り捨てた。 顔を上げる。 右側から、四匹目が体当たりを仕掛けてきた。 アルカは片足を軸にして体を半回転させ、その激突をやり過ごす。 そして、自分の足元を無防備に飛んでいく四匹目を、真上から突き刺した。 一瞬で抜いて、振り向く。五匹目が迫っていた。 五匹目は、アルカの身長より高く飛翔し、そのまま全体重をかけて押しつぶそうと落下した。 その自由落下を、半身だけ動かして回避する。 その五匹目が地面に落下するまでの間に、死角から襲おうとしていた六匹目を縦に切断。 地面に落ちた五匹目を蹴り飛ばして近くの木に叩きつけると、串刺しにするように腹部に剣を突き立てた。 これで六匹。 敵の攻勢は止んだ。 ――。 ――――。 「‥‥!」 一匹、逃した。 慌てて辺りを見回し、白い影を見つけた。 それは。 逃げてきた少女に押し倒されるように仰向けになっていたユニに、迫っていた。 「ユニ!」 アルカは剣を引き抜いて走った。 間に合わない、 間に合わない、 間に合わない――! * * * 間に合う、 間に合う、 間に合う――! ユニは、一心不乱に詠唱を行っていた。 経験は記憶で補う。不安は勇気で補う。実力は世界で補う。 一度も唱えたことがなく、一度も唱えることがないだろうと思っていた。 それでも今は。 誰を守るとか、何がしたいとか、そんなことではなくて。 ただ、今は、迫るあの敵を、どうにかしなければならない――。 「その身は闇。その心は光。その芯は苦しみ。その真は幻。ただあなたが、嘘偽りのない世界で幸福を享受できるよう」 ユニの周囲の空気がゆらぐ。 一角ウサギは跳躍した。角を突き出し、少女もろともユニを突き刺そうとしていた。 ユニはうっすらと目を閉じて、柔和な笑顔を浮かべた。 「あなたの未来に、光あれ」 今にもユニに突き刺さろうとしていた角は、持ち主である魔物と共に、光の中に消え去った。 * * * 「ユニ、あんな魔法使えたんだ」 「うまくいって、よかったです」 心底安心したような笑みを浮かべるアルカに、ユニは恥ずかしそうにはにかんだ。 魔術詠唱。 それは、世界に働きかける<開扉>、自分に働きかける<詠唱>、魔力を形にする<真名>の三つに別れる。 <開扉>は、いわば、自分がこれからこの魔法をここで使うということを、世界に対して釈明するものだ。 魔法は基本的に、大気中に流れる魔法要素エーテルと、人間の体に流れる魔法成分エーギルによって生成される。 とはいえ、自分の体内だけで完全な自給自足ができるのは、世界でもごく限られた大賢者の域に到達する者たちだけだ。 通常は、世界に滞在する魔法要素を活用して魔法を行う。 だから、これから自分はこれだけの魔力を大気からいただくのだという意思表明が必要だったし、もし術者がその力量にそぐわないようなハイレベルの魔法を使おうとしても、その段階で世界に拒否される。 <開扉>が完了すると、自分と世界を繋げて大気からエーテルを取り入れつつ、それを自分の力として自分の中で変成させる作業、すなわち<詠唱>が始まる。 <詠唱>は、自分への戒めである。もちろん魔術教本にはごく一般的な詠唱方法が掲載されているが、そもそも<詠唱>は自分との契約なのだから、その作用さえ生まれれば、認知できれば、どんな言葉でもよい。 好んで古代語を使うものもいれば、好きなものを並べて<詠唱>とする魔法使いもいるという。 そして<真名>に至る。 およそ世界に契約されている呪文を扱う場合、この<真名>を唱えることが最低条件とされている。 逆に言えば、強力な術者ならば、<開扉>と<詠唱>を一瞬で完了させ、<真名>を唱えるだけで魔法を使うことが可能である。 もちろんユニはまだ素人の段階だったから、この三つのプロセスをきちんと踏まえたうえで呪文を唱えた。 そのことを理解しているのは、唱えたユニ本人だけではあったが。 「あ、あのう‥‥」 ずっと放置されていた少女が、発言権を求めるように片手を挙げて、呟いた。 「私はどうすれば‥‥」
012/End |