「え、それじゃあ‥‥キミが、勇者さまなの?」 「だから、ぼくはオルテガの子供ってだけだってば‥‥」 森の外れに、開けた川原が広がっていた。 ちょっとした広場のような芝生の大地に、大河がゆったりと流れている。 木々に邪魔されることなく川面を走ってきた風が、辺りの草花を揺らす。 アルカとユニは、一角ウサギの群れから逃げてきた少女ラーンと共に、休憩と治療を兼ねてそこに到着した。 アルカもラーンも、傷こそないものの、安心して芝生に腰掛けると、どっと疲れが押し寄せてきた。 ユニが、その間に辺りに聖水を撒く。 聖水は、人間の体に振り掛けることも、地面や空間に撒くこともできる。 人間に振りかけた場合、移動しても効果は持続するが、動くことで蒸発するので、強い効果は望めない。 地面に撒くと、その場所以外には効果は及ばない代わり、かなり強く、更に長く効果を保つことができる。 「英雄オルテガの子供だったら、勇者さまじゃない」 「でもぼく、勇者って言われるほど強くないし」 アルカが照れたように苦笑する。 それを見つめながら、ラーンは先ほどアルカが倒した六匹の一角ウサギ、その死骸を見たときのことを思い出した。 すべて一撃だった。 ラーンのような素手での攻撃と違い、刃物による戦闘だから、確かに一撃で終わるものなのかもしれない。 しかし、あの数を相手に、全てを剣の一振りで終わらせる才能は、決して「強くない」と謙遜できるものではなかった。 もちろん、今魔王と戦おうとしても無理なのだろう、とは思う。 それでもラーンは、目の前ではにかむ少女に、末恐ろしいものを感じずにはいられなかった。 彼女も武闘家である。凄い使い手には、理屈でなく体が反応するのだ。 「ふうん、まあいいや。それで、勇者さまたちはレーベの村に行こうとしてたわけだ」 「名前で呼んでよ、ランちゃん」 「ランちゃん? ‥‥うん、そうだね、ごめん、えっと、アルカ」 今まで呼ばれたことのない呼称にむず痒さを感じながら、ラーンは頷いた。 「それから、キミはユニ、ちゃん、だね」 「はい。よろしくです、ラーンさん」 ユニは、隣り合って座っているアルカとラーンの正面に座り込んだ。 どう見ても大きすぎる帽子を外して、足元に置く。 ユニの藍色の髪は、ばっさりと切られていて短かったが、艶々していてとても綺麗だった。 「レーベに行って、どうするつもりだったの?」 「えっとね」 アルカが記憶を手繰るように中空を仰いだ。 ユニがそれを心配そうに見つめている。しかし、助け舟を出そうとはしていない。 不思議だ、とラーンは思った。 「レーベにね、魔法使いのおじいさんがいるんだって」 「魔法使い?」 「うん。ずっと前に、アリアハンのお城でお仕事してた、凄く強い魔法使い」 「ふうん。それがどうしてレーベにいるの?」 「えっと、確か‥‥隠遁、だったかな」 「イントン?」 聞きなれない言葉にラーンが首をかしげると、ユニが補足をするように口を開いた。 「お仕事を引退して、田舎で過ごしてるです」 「へえ」 ラーンはレーベの情景を思い起こした。 彼女の記憶の中では、二人の話に当てはまるような老人は思い出せない。 おじいさん、という呼び方に当てはまるのは、ラーンが世話になったあの老人だけだったが、どうも魔法使いという印象には程遠い。 ただの、気のいいおじいさんでしかなかった。 「そのおじいさんに会って、どうするの?」 「アリアハンを出るんだ」 「‥‥出る方法があるの?」 「あるです。そのおじいさんが、旅の扉を管理してるはずです」 ユニがこくりと頷いた。 旅の扉という言葉もラーンには聞き覚えがなかったが、話を聞く限りだと、アリアハンを出るために必要なものらしい。 「へえ‥‥大変だね」 「ところでランちゃんは? どうしてこんなところにいるのかな」 はた、と首を傾げるアルカ。 ラーンは、目の前の彼女たちがあの勇者一行であるという事実を上手く飲み込めずにいたが、そもそも情報は隠しておくほうがいいなどという駆け引きが上手なタチではなかったので、あったことを全て話した。 自分が漂流したことから、老人のために盗賊を退治に行くつもりだったことまで。 全てを話し終えると、ラーンは大きく息をついた。 「――って感じかな。ふう、疲れた」 あまり長いこと喋るのは慣れていなかった。 「そっかー。ランちゃんも大変なんだ」 のんびりとそんなことを言うアルカ。 それに対して、ユニは思案顔で腕を組みながら唸っている。 「‥‥どうかしたの、ユニ?」 アルカが顔を覗くと、ああ、とか、うん、とか微妙な返事をして、再び悩みだした。 「あの、ラーンさん、ちょっと聞いていいです?」 「うん? なに?」 「そのおじいさん、お名前とか判ります?」 「あ――そういえば、聞いていなかった」 というより、自分の名前すら明かしていなかった気がする。 あちゃあ、と、心の中で自分のおでこをペチンと打った。 「あ、もうひとつ」 「いいよ」 「一人暮らしでしたですか?」 「うん‥‥私がいたときは、おじいさん一人だったよ。娘夫婦はいなくなったとか、孫は放蕩だとか」 放蕩孫だと言ったのはラーン自身だったが、そんなことは既に彼女の記憶にはなかった。 「おじいさんの家、変わったところがなかったですか? 隠し部屋があったとか、研究室みたいのがあったとか‥‥」 「研究室‥‥」 ふと思い出す。 食事をする部屋から少し離れた個室が、老人の部屋だった。 だがそれは寝室とは別で。 そこは、老人が何かの実験をしている研究室だった――。 「そういえば、何か大きなツボみたいので実験してたような」 「えっ!?」 ユニが立ち上がる。 ラーンは慌てて言い繕った。 「あ、で、でも。それが魔法使いかどうかなんて‥‥」 ふるふると、顔の前で両手を振るラーン。 勇んでいたユニの顔が、元に戻った。 「‥‥あの、ラーンさん、それ」 「?」 ユニが指差すその先。 ラーンの手。 右手の薬指。 羽根の意匠が凝らされた、小さな指輪。 「それ、どうしたです?」 「これ? うん、これは、おじいさんからもらった。元々は対になってるリングだ、とか言ってたけど」 「ユニ? どうかしたの?」 首を傾げるアルカ。 ユニは、神妙な顔つきになって、呟くように言った。 「対に、なってる‥‥?」 「う、うん、確かそう言ってた――」 気がする、とラーンが言う前に、ユニがリングに飛びついてきた。 ラーンの右手を温めるように両手で挟んで、ゆっくりと目を閉じた。 「‥‥?」 ラーンがぽかんとしている間に、ユニは目を開けて手を離した。 「これ、魔法の形跡があるです」 「魔法?」 「本で読んだだけだから確信は持てないですが、たぶん、対契約の魔法です」 「なにそれ」 アルカが言った。ラーンも同感。黙って頷いた。 「例えばアル、その、えっと‥‥」 ほんの少しだけ頬を赤らめるユニに、アルカは首を傾げ、ラーンは眉をひそめた。 「結婚式のとき、指輪を交換するの、知ってるですよね」 「ああ、うん、知ってる」 こくこく、と首を縦に振るアルカ。それが面白くて、ラーンは思わず噴き出してしまった。 「あれって、ただ形式としてやるわけじゃないです。きちんと、夫婦の契約を結ぶための儀式なのです」 「儀式?」 「場合によって神父だったり魔法使いだったりするですが、リングに対契約の魔法をかけると、お互いに契約のかかったリングを身に着けている間は、お互いに繋がっていられるです」 対契約。 それは、婚姻に至った男女が互いの愛を永遠不滅のものにするために、お互いのリングに契約の魔法をかけたことが始まりだといわれている。 一番最初にそれを行ったのは、当時随一の魔法使いと言われた男女だった。 その夫婦の魔法使いは、離れていても互いを感知でき、心を静めればどんなに遠くにあっても会話ができたと言われている。 どこまでが真実なのか、あるいは全てが伝説に過ぎないのかは今となっては判らなかったが、その契約は婚姻の契約と共に行われ、あるいは神父、あるいは魔法使いの手によって契約を結ばれたリングは、離れても必ず一緒になるという伝説と化した。 対契約を最初にやった魔法使いたちが会話ができたのが事実だとしても、それは本人たちの手によって契約が行われたからだ、というのが、現代での見解である。 それを他者の、しかもほとんど自分たちの婚姻と無関係な神父がやったところで、効果などたかが知れている。 愛は魔法よりも強いと言われてはいるが、結局のところ、二つのリングを結ぶのは魔力の糸なのである。 だから、伝説にあるような力を欲するならば、契約するもの本人のどちらかが、あるいは両方が魔法使いであり、その契約の意志が強く頑なでなければならないと言われている。 「このリングに宿る魔力は、長い年月をかけて少なくなってはいるですが、もとはとても強かったです。こんな魔法、うちのお父さんなんかじゃ使えないです」 「ノルン神父でも?」 ユニは頷く。 ラーンにはそのノルンという男が誰なのかは判らなかったが、ユニの父親であることと、それなりの魔力を持つ者であるということくらいは推察できた。 「じゃあ‥‥」 「たぶん‥‥」 ユニとアルカが、まっすぐにラーンを見つめた。 ラーンは怯えたように薄笑いを浮かべて、「え、え?」と首をかしげた。 「ラーンさんにこの指輪をくれたひと。それが多分、アイゼンハルト卿なのです」 「え?」 あの老人が、アリアハンの魔法世界を創っていた賢者。 ラーンは、彼と賢者という二つの像を結びつけることができなかった。 「アル!」 「なに?」 「これは運命です。運命なのです」 「‥‥?」 アルカはちょこんと首を傾げたが、ユニは気にせずに再びラーンの手を取った。 「ラーンさん、ありがとうです! あなたのおかげでまた一歩進めました!」 「は、はあ」 その勢いに引き気味になるラーン。 「アル、行きましょう、やっぱりアイゼンハルト卿はレーベにいるです!」 「うん。でも‥‥ちょっと待って」 アルカはそう言うと、立ち上がってぱんぱんとお尻をはたいた。 そして、ぽかんとしたまま座っているラーンに、右手を差し出す。 「え?」 「いこ、ランちゃん」 「え?」 何を言ってるのこの子、とでも言いたげに、ラーンはアルカを見上げる。 言いたげにというか、実際にそう思っていた。 「ね、ユニ」 「なんです?」 「もしほんとに、ランちゃんとお話してたのがアイゼンハルトさんなら、ランちゃんが引き受けたことって、アイゼンハルトさんのお願いなんだよね?」 実際には、盗賊退治などというのはラーンが勝手に言い出したことだったが、そんなことを言う暇はなかった。 「そう‥‥なるです」 ユニが頷く。 「だったらさ」 ぱっ、と太陽のように笑顔を咲かせるアルカ。 ラーンには判らなかったが、ユニには彼女が何を言いたいのか理解できたらしく、両手を腰に当ててわざとらしくため息をついた。 「はあ‥‥。アルならそう言うと思ったです」 「えへへ」 「いいですよ。アルにお任せするです」 「ダメだよ、ユニも認めてくれないと」 「‥‥ふう」 ユニはラーンに視線を向けた。 アルカに手を差し出されたまま動くことができずにいたラーンを見つめて、ユニは言った。 「ちょっと不安ですけど‥‥でも、たぶん大丈夫です」 「‥‥はい?」 ぶつぶつと何事かを呟くユニ。言っている内容も、それに含まれている意味も、ラーンには判らなかった。 「ラーンさんなら、アルはとらないです」 「え?」 それはほとんど独り言みたいな声の小ささだったので、ラーンにはせいぜい、何か言っている程度にしか聞こえなかった。 アルカには、そもそも届いていなかったようだ。 「うん、じゃ、そういうわけでっ」 アルカが、ラーンに伸ばした手をぶんぶんと振った。 理解できないままそれを取ったラーンを、ぐいと引っ張って立ち上がらせる。 「そういうわけで、よろしくね、ランちゃん」 「へ?」 「よろしくです、ラーンさん」 「へ?」 理解できずに棒立ちになったラーンを無視する形で、二人の少女は話を進めていた。 「それにしても、アルもあくどいです」 「なにが?」 「アイゼンハルト卿に会う前に、手柄を立てて貸しを作っておくなんて‥‥」 「‥‥? だって、困ってる人がいるんだったら助けてあげないと。それに、盗賊団は王都の近くにも出るっていうし」 「もしかしてアル、ルイーダさんに盗賊の話聞いたときから、こうしようと思ってたですか?」 「うん。だって、ぼくは勇者だもん。ルイーダだって、だから教えてくれたんでしょ?」 「それは違うと思うですが‥‥」 「あ、あの」 話についていけないラーンが声を上げると、二人が同時に彼女に振り向いた。 「盗賊退治に行くんでしょ?」 アルカに言われ、ラーンは頷く。 「だったら、一緒に行こうよ」 「人数は多いほうがいいです」 ユニも笑顔になっていた。 「それって‥‥」 「?」 うん? と、アルカが目で問いかけてくる。 「仲間?」 「そうだよ。もちろん。どうかしたの?」 アルカが言った。なんでもないことのように。 仲間が増えることは、喜ぶことであって、それ以外の何事でもないとでも言うような、満面の笑顔で。 「う、ううん、なんでも」 オルテガに憧れた。 英雄に憧れた。 けれどラーンは結局のところ、誰かが魔王を打ち倒す物語を聞いて楽しめる人間ではなかった。 困っている人がいるなら助ける。 それが一人でも、二人でも、世界中の全ての人でも。 ただ応援するのではない。 自分ができることがあるなら、精一杯に、何でもしたかった。 だからラーンは、故郷を出たのだ。 アルカの笑顔を見て、そんな最初の想いを、思い出した。 「よろしくね」 ラーンは心から笑顔を浮かべて、そう、言った。
013/End |
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