「さて、準備は完了」 町の入り口。 過去の名高い魔術師たちと現代に生きる魔術師たちによって編まれた結界魔法によって、アリアハンの城と町は魔物から守られている。 その結界を乗り越えるラインは高い塀に囲まれていて、東西南北四つの門には兵士が立っている。 アルカとユニは、旅立ちの準備を整えて、西側の門が遠く臨める広場までやってきた。 閉じられた門、その向こうに広がるのは広大な草原。 そして門に遮られていてもてっぺんだけがかろうじて見える高い塔、アリアハン城の西にある淡水湖に浮かぶ小島に立つそれは、もう10年以上使われていないらしく、遠くから眺めるだけでも、ところどころにツタが絡まり、外壁が崩れ落ち、古さが目立っている。 「ユニ、それ、法衣?」 アルカが、隣に立つ少女の姿を、つま先から脳天までじっくりと眺め渡す。 「え? へ、変です?」 「ううん、変じゃない。かわいい」 「‥‥!」 ぱっ、と頬を赤く染めて顔を背けるユニ。 肩辺りまで伸びた藍色の髪が、ゆるりと揺れた。 衣服は、冒険者である僧侶がまとう青い法衣。 巨大な十字架が描かれているわけではないが、その代わりに首からロザリオが下がっている。 法衣は大きな一枚布で、体全体をゆったりと覆うようにしてユニを守っていた。 恐らくは大人用なのだろう、ユニにはお世辞にもサイズが合っているとはいえなかったが、僧侶らしい清らかさの中に幼い少女趣味をちりばめた、ユニらしい着こなし方だった。 「ユニ?」 俯いたユニの顔をひょいとのぞき込むようにしてアルカが首を傾げる。 なんだか妙に恥ずかしくなって、ユニは賛辞の対象を自分から目の前の少女に移し替えた。 「あ、アルこそ、か、かか」 「か?」 言いかけて気付く。 実は他人を褒めるなんて、ものすごく恥ずかしいことであることに。 なんでアルカは、あんなに簡単に人を褒めることができるのだろう。 こっちは、ただ「かっこいいです」の一言のためだけに、こんなにしどろもどろだというのに。 「か‥‥似合ってる、です」 「え、そう?」 まんざらでもなさそうに、その場でくるりと回ってみせるアルカ。 ふわりと舞う深緑色のマントは日除け用。その中は、肩のないタンクトップのシャツだ。 細いウエストにまかれたベルトに押さえられ、下半身にはシャツと同じ色のスカート。 その下に茶色のズボンをはいているのは、単純に動きやすさの問題だ。 それにしても、とユニは思う。 かっこいいと似合ってる、二つの言葉にニュアンスの違いなんかあるのだろうか。 かっこいいとは言えなくて、似合ってるとは言える、自分の感情が不思議だった。 「まあ、長旅になるだろうから、旅先でいろいろ着替えることになるんだろうけどねー」 アルカが笑う。ユニも同意するように頬笑んだ。 ところで。 アルカの腰には、剣が下がっている。 鋼の剣。アリアハンの一般的な兵士が持つ武器と同じ名称でありながら、アルカのそれは、もはや一般的なレベルを超越している。 英雄オルテガが所有し、最後まで彼と共にあった剣。 オルテガが行方不明になってから、ただ一人彼の故郷に帰還した剣士エクリュアが、遺品にと持ってきた品。 それはかつてアリアハン王がオルテガに受け渡したものであり、皮肉なことにオルテガの所有物でることは真実だった。 しかしながら、その精錬具合は半端ではなかった。 オーソドックスな鋼の剣を大本にしながら、いくつもの種類の鉱石や金属で鍛えられた合金。 世界に数えられるしかないといわれる英雄剣バスタードソードに勝るとも劣らない切れ味。 なるほどこれは確かにオルテガにしか扱えぬと、アリアハン王はオルテガの妻ルシアにその剣を譲った。 そして今。 10年の時を経て、アルカの腰にそれはある。 それが天性の才能なのか血統のなせる業なのか、彼女は剣技に長けていた。 率先してモノを斬ることを好まないタチであるために武術大会で好成績を残したりという記録はないが、その技術はさすがオルテガの娘というにふさわしい。 最初から、勝つことなど望んでいない。ただ相手を殺すためだけの剣技。それが彼女の受け継いだオルテガの剣だ。 「ん? どしたの?」 アルカが、ユニの視線に気付いて声をあげた。 「え? あ、いえ、なんでもないです」 「これ?」 言って、アルカは腰に下げていた鋼の剣の柄を握ってみせる。 「今まで、こうやって持ったこと一度もなかったんだけど‥‥どうかな、似合ってる?」 「――」 剣が似合うということは、つまり殺しが似合うということだ。 魔物たちは見境なく人間に立ち向かってくるし、ユニの教会には、毎日のように魔物に殺された身内を偲びぶため、礼拝者がやってくる。 だからもちろん、魔物は人間の敵なのだけれど。 しかしそれだからといって、殺してしまうのは、ユニには未だに納得できないことだった。 「アルも‥‥」 「ん?」 「アルも、魔物を、殺すですよね」 「‥‥」 それを優しさと呼ぶことすら、きっと滑稽なのだろう。 ユニは、ユニ自身の意識として、それを当たり前に捉えていた。 例えば他人を殺してはいけないのに理由がないならば、それと同じように、魔物を殺してはいけない。それに理由はない。 だから、憎いからといって魔物を蹂躙する人間達を、彼女は理解できない。 魔物たちが人間をどれだけ滅ぼしてきたのか、知っている。魔王がどれだけ人間に仇名す者か、知っている。 しかしそれでも、ユニにはそれが理解できないでいた。 「ねえ、ユニ」 ふと、アルカが口を開く。 「ユニはさ、魔王を倒すために、世界中の魔物を滅ぼすために旅をするのは、いや?」 「え‥‥」 「ユニは、どうして僕の旅についてきてくれるの?」 純然とした疑問をぶつけるように。 一切の迷いも躊躇もなく、表情も感情もなく、アルカはユニに問いかける。 ユニはアルカの瞳を正面から見つめ、考えた。 「それは――」 それは、アルカを助けたいから。 アルカと一緒にいたいから。アルカと共に歩きたいから。アルカと同じ未来を見たいから。 アルカはユニがいないと何もやっていけないと思うし、ユニも、アルカがいないときっと何もできない。 だから。だから。だから。 ――だから、アルカのためだ。 いや、きっとそれも違う。 自分のためだ。世界のためじゃない故郷のためじゃないアルカのためですらない、ユニ自身のためだ。 ユニ自身が、アルカと共にありたいから。だからだ。それだけだ。 「例えばさ、ユニ」 アルカは、ユニの思考が落ち着くのを待ってから、ユニが何かを言おうとする前に再び口を開く。 「いつか遠い未来、人間と魔物が一緒に仲良く平和に暮らせる世界になればいいと思わない?」 「‥‥思う、です」 それは、いつもユニが望んだ未来。 どうしてみんな仲良くできないんだろう。仲良くしたほうが、楽しいし、平和だし、すごく気持ちいいのに。 「でもね。人間と魔物って、そう簡単に仲良くなれないんだよ、きっと」 アルカのそれは独り言のようでもあり、おとぎ話を語るようでもあった。 「それでもいつかそんな未来が来て、そのとき、人間と魔物の子供たちが、こう言うの。『大昔、人間と魔物ってケンカばっかりしてたんだって』『その中でも、魔物をたくさんいじめた有名な人間がいるんだよ。知ってる?』――その質問には、これが答え。『うん、知ってるよ。それって――』」 くるりと、アルカはユニに背を向ける。 一陣の風が吹いて、アルカのマントがふわりと風に捲かれた。 「『それって、勇者とかいう悪者でしょ』‥‥ってね」 ユニに背を向けたまま、アルカは首だけで振り向いて、後ろに立っているユニの顔を見ようとする。 「だから、僕は悪者なんだ。ケンカなんてしちゃいけない。ケンカなんてしても、なにもいいことはない。僕はそれを、人間にも、魔物にも、教えてあげたい」 「そのために‥‥悪者になる、です?」 「そうだね」 アルカが微笑む。ユニがこれまで見た中のどんな表情より、悲壮で痛々しい笑顔だった。 「お母さんが言ってた。この世界には、幸せと不幸せがあって、どっちも同じだけの量があるんだって。それでね、それって、絶対になくならないんだって」 アルカの声が、どこか遠くに聞こえる。 すぐ目の前にいるはずなのに、俯いて震えるユニにはアルカの足元も見えない。 「でも、みんな幸せになりたいよね。僕もそう。きっと世界もそうだと思う」 ユニは後ろから、こわごわと視線を上げ、無理やりにアルカの背を見ようとする。 もう何も聞きたくなくて耳を塞ぎたくなる。それでも、じっと前を見続けるアルカの姿から目を背けるなんてことは、できない。 そうして眺めるアルカは、まるで。 遠く故郷を見やり、どこか異界の地で一人荒野に佇む、栄誉無き英雄の姿に映った。 「僕は、だから、この世界から不幸せを吸い取る。人間と魔物の争いは、もうおしまい。魔物を恨む人間も、人間を恨む魔物も、全部僕を恨めばいい。そうしたら、僕以外は悪者はいなくなる」 まるで絵空事のような話でありながら、それは孤高で高潔な一つの誓い、儀式、契約のような荘厳さを秘めていた。 だからユニはそれを笑い飛ばすことも、途中で止めることもできない。 「そうして僕は、この世の全ての悪者として、この世界に永遠に残ればいい。歌にでもなって、僕の名前を未来の全ての人が恨むようになればいい」 「それは‥‥犠牲になる、ってことです‥‥?」 「そんなたいそうなものじゃないよ」 からからと、アルカが明るく笑う。決してそんなシーンではないのに。 「どうして‥‥そんなに、恨まれたいですの!?」 「恨まれたくなんかないよ」 アルカが即答。言葉を失うユニに、畳み掛けるように続ける。 「でもね、なんとなくだけど、思うんだ。この世界を安心させるにはそういう手段が必要で、それをやるのに一番いいのが、僕なんだって。だから、僕よりももっとこういうことに向いてる人を見つけたら、任せちゃうかもだけど」 「‥‥それは、アル‥‥」 「僕は勇者だよ、ユニ。だから僕は、世界を救いたい」 そこで初めて、アルカはユニに向き直る。 背の高くないアルカよりも更に頭一つぶんだけ小さなユニに向かって、アルカは言う。 「だからね、ユニ。僕がこれから旅する道は、きっと大変だよ。僕は遠慮しない。立ちふさがる敵がいたら倒すし、魔王は僕がこの手で倒してみせる」 胸元に右手を寄せ、ぐ、と握ってみせるアルカ。 「魔王と勇者は、だから、一緒なんだよ、きっと。魔王と一緒に僕は、世界が安心するために、世界を救うために、この世の全ての悪を寄せつけるよ」 だから、簡単じゃないんだよ、とアルカは言った。 「僕は人間だから、人間を助けるために魔物を殺していくことになると思う。魔王は同じように、人間を殺していく。だからどっちも、相手に恨まれて当然なんだもの」 だから、とアルカは立て続けに言う。 「だから、ユニ。僕についてくるのは、間違ってるかもしれない。僕と一緒に、悪なんて被りたくないでしょ?」 そう、アルカが言い終えると同時にユニは、アルカに正面から抱きついた。 「――!?」 突然の抱擁にアルカは狼狽する。ユニは何も言わずに、アルカの腰に抱きつくとぎゅっと強く腕を回す。 「ユニ‥‥?」 「わたし、アルが好きです」 「‥‥僕も好きだよ」 「好きだから、アルと一緒に行くです。わたしはアルを助けたくて、アルと一緒にいたくて、だからアルと行くです。アルが行くところなら、どこでも行くです。だからお願いです、アル‥‥」 少しだけ身体を離して、でも手は腰に捲きつけたままで、ユニは顔を上げてアルカを覗き込むようにする。 そして、告げた。 「わたしを連れていってくださいです、アル」 「‥‥」 アルカの手が震える。 目の前で自分に抱きついている彼女をどうするべきか、逡巡する。 けれどどんなに悩んだところで、答えは決まっていたのだ。 アルカの右手はユニの頭にぽんと乗せられ、左手は彼女の背中に添えられた。 「一緒に来てくれる‥‥ユニ‥‥?」 「もちろん、です」 「‥‥うん、ありがと」 アルカの手がユニの肩に落ち着き、ゆっくりと身体を離した。 「じゃ、行こうか、ユニ」 「うん」 アルカはユニの手を取って、二人同時に駆け出した。 * * * 「やあアルカ。もう行くのかい」 門の前に、門番が立っている。 二人の少女が手を繋いでいるさまは、これから死地に旅立つようにはとても見えず、まるで近所へ散歩に出掛けるようだった。 「うん、もう行く」 アルカがにこやかに答える。 「お母さんに挨拶してきたかい?」 「どうして?」 「え?」 そんなアルカの返答に、ぽかんと口を開ける門番。 「まるで僕が帰ってこないみたいじゃない、そんな言い方」 底抜けに明るく、アルカは笑うのだった。 「――そっか。そうだよな。帰ってこいよ。待ってるから。ユニちゃんも」 「え、あ、は、はいです」 どうやら、ユニがアルカと共に旅立つことは、すでに周知の事実であるらしい。 なんだか急に照れくさくなって、ユニはアルカの手を握る手の力を緩める。 しかしアルカはそんなことに気付くはずもなく、むしろぎゅっと強く握り返した。 「門開けて」 「オーケイ、ちょっと待ってな」 門番は詰め所に駆け込んでもう一人の兵士を連れ出すと、二人で同時に両開きの大きな扉を開く。 「ありがと」 「どういたしまして。あ、そうだ、アルカ」 門番が、扉の向こう、正面に見える塔を指差す。 「ナジミの塔。知ってるよな」 「うん」 「最近、あそこに盗賊団が住み着いてるって噂があるんだ。充分気をつけてな」 「盗賊団?」 アルカが首を傾げる。門番は、神妙な顔つきで頷いた。 「19年前にあんなことがあってから、あそこには誰も寄り付かなくなった。昔は、王国七賢の一人である賢者アイゼンハルト卿が研究室にしていたのだが‥‥」 「アイゼンハルト?」 ユニが声をあげる。 「知ってるの?」 「名前くらいは‥‥って、アル、あなたもアリアハンの人間なら、国のことくらい知っておくべきです‥‥」 悪びれる風もなくユニに聞いてくるアルカに、ため息をつく。 「<凍てつく白銀>アイゼンハルト公爵‥‥氷系の魔法を得意とした賢者さまです」 「へえ」 アルカが感心したように唸る。それに、ユニは更にため息を重ねる。 「よく知ってるね、ユニちゃん。――かつてはこの国の繁栄の代名詞でもあ<った七賢も、今は老いてしまったアイゼンハルト卿以外、皆死んでしまわれたからね‥‥」 「え?」 「え?」 それは、アルカとユニの同時の声。 「兵士さん‥‥今、何て?」 ユニが声を震わせて聞く。 「うん? アイゼンハルト卿が老いてしまって‥‥って?」 「ていうか、アイゼンハルト卿そのものが‥‥生きているです?」 「は?」 門番は一瞬、虚を突かれたかのようにぱちくりと瞬きをする。 「生きてるはずだけど‥‥」 「どこに? レーベにです?」 「えっと‥‥うん、確かレーベ。なんだ、知ってるんじゃないか」 「‥‥」 思わず、ユニはアルカと顔を見合わせた。 いくら鈍感なアルカでも、さすがに気付いたらしい。 「レティちゃんが言ってた、旅の扉を使える人?」 「たぶん‥‥」 それしか考えられなかった。 アイゼンハルトという名は、名前だけはユニも知っているほどの有名人。 そしてレティとルイーダの言う、20年近く隠遁している大魔法使い。 ぴたりと、情報が符合した。 「賢者アイゼンハルトさまが‥‥生きているなんて」 どうやらユニは、父親からアイゼンハルトの名は聞いていたが、それ以外のことは全く耳にしていなかったようだ。 よもや生きているなんて、知りもしなかった。 「じゃあ決まりだ!」 アルカが、びっくりするくらいの大きな声で言った。 「場所もわかる、名前もわかる、七賢だってこともわかる。まずは、会いに行こう、ユニ!」 「‥‥そう、ですね」 もともと、名前が判らなくとも行くべきはレーベであった。 向こうに到着する前に更なる情報が手に入ったことは、幸運だったといえるだろう。 それに、あの塔に巣食う盗賊――近づきでもしない限り縁はないだろうが、心に留めておくに越したことはない。 「さ、行こうユニ。冒険の始まりだよ」 一足先に門をくぐったアルカが、振り向いてユニに手を伸ばす。 こうして。 「――はい!」 彼女たちの冒険の、幕が開いた。
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