「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」 時刻は昼過ぎ。 旅の準備のために町中を歩いていて、ふとアルカが言った。 ユニが首を傾げると、アルカは足を止めてユニに向き直る。 「教会に行きたいんだ」 「え‥‥」 * * * ユニが自分の家である教会から、脱走まがいの方法で抜け出してきたことを、アルカは知らない。 細かい話は全くしていないからでもあるし、アルカがそんなことを気にする人間ではそもそもないから、でもある。 何にせよ、あんなとんでもない逃げ方をしてきた分際で、ぬけぬけと家に帰れるわけもない。 屋根の上に立つ十字が見えてきたころ、ユニはアルカを呼び止めた。 「どうしたの?」 「あの‥‥わたし、ここで待ってるです」 「?」 思わず顔を俯かせるユニに、アルカははて、と思いを巡らせる。 「お父さんに会わなくていいの?」 「会えないです。わたし、アルと一緒に行くって決めたです。だから、この冒険が終わるまで、戻れないです」 「‥‥」 それは、決意というよりも、どこか悲壮な感覚に似ていた。 アルカは小さく笑って「そっか」と呟くと、ユニの頭にぽんと手を乗せた。 「わかった。じゃあ、ぼくが代わりに挨拶してくるよ。ここで待ってて」 「‥‥」 遠慮がちに、上目遣いにアルカを見つめながらこくりと頷く。 それに満足したように笑うと、アルカはくるりとユニに背を向けて、教会に向かって歩き出した。 * * * 「こんにちわ、神父さま」 「ああ、アルカ――いらっしゃい」 きぃぃ、と小さく音が鳴る正面の両開き扉。 ゆっくりとそれを押すと、厳かで静謐な空気をまとっていた礼拝堂の中に、外界の空気が差し込む。 さして広くないその中、扉の真っ直ぐ先の祭壇に、穏やかな微笑を湛えた神父が待っていた。 「よく来てくれました」 「約束だからね」 隣にいる人に向けて話すくらいの大きさの声でも、ここでは相手に充分届く。 それだけここが、音のない空間だということだ。 「お祈りさせてください、神父さま」 「喜んで」 神父は頷く。 祭壇の前までやってきたアルカが足下に跪くのを確認して、神父は後方の女神像が掲げる錫杖を手に取った。 「ではアルカ。空と海と大地に感謝の祈りを捧げなさい」 しゃん、と錫杖が音を立てる。アルカの頭の上で、ゆっくりと楕円の軌道を描く。 「母なる国アリアハンから、汝の子アルカがその腕の外に旅立ちます。どうか慈愛を以てして、アルカの行く道に平穏と幸福を」 「‥‥神父さま」 「なんですか?」 アルカが祈りを中断して、伏し目がちに神父を仰ぎ見る。 「ユニのぶん」 「‥‥え?」 「ユニのぶんも、祈って。ユニ、外できっとお祈りしてるから。神さまと精霊さまに、ユニの旅を祈って」 「‥‥」 その目がどこまでも真剣で。 神父は、思わず苦笑した。 「ありがとう、アルカ」 「?」 お礼を言われた理由が分からずにぽかんとする彼女に再び苦笑して、父は自らの娘のために祈りを捧げた。 「母なる国アリアハンから、汝の子ユニがその腕の外に旅立ちます。どうか慈愛を以てして、ユニの行く道に平穏と幸福を」 しゃらん、と錫杖が鳴る。 この音はユニに届いているだろうかと、神父は一瞬だけ祈りから思考を切り離す。 そして改めて錫杖を握りなおすと、柄を床に着ける。 「アルカ、ユニ。あなたたちの天に、星が降りますよう」 とん、と錫杖で床をつくと、しゃん、と鈴が鳴る。 それを3回繰り返し、旅立ちの祈りは終わった。 「お疲れさま、アルカ」 「うん」 音もなく立ち上がり、アルカは顔を上げる。 「これで私の仕事は終わりですが‥‥一つだけ、個人的なお願いがあります」 「ユニのこと?」 「ええ」 神父が、神父としてではなく一人の父として笑った。 「まさかあそこまで本気で思っているとは思いませんでした。親だからといって、子供の全てを知っているわけではないのですね」 「誰にだって、秘密はあるもんね」 そうですね、と神父は頷いた。 「あるいは母親がいれば、あそこまで僧侶らしからぬ育ち方をすることもなかったのかもしれませんが」 「ユニ、いい子だよ?」 神父の言葉の端々から、どうやら今のユニに納得がいっていないらしいことを感じ取ったアルカが言う。 「あなたにそう言って頂ければ、充分ですよ」 神父は続けて口を開いた。 「ユニのこと、よろしくお願いします」 「うん、引き受けたよ」 例えば勇者というのはどういう人間なのだろう。 力が強い。頭がいい。正義の使者。闇を討つ光。 どれも正しいが、きっとどれも正解ではない。 勇者とは、人と共にある命。 自分の愛する者を守るように、世界の人々全てを守れる者。 たった一人を愛せるように、世界の全てを愛せる者。 世界を救えるのは、そんな人間しかいない。 勇者と呼ばれるのは、そんな人間しかいない。 ならばアルカは、勇者たり得るのだろうか。 神父ノルンは、世界が救われることを確信した。
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