「魔女?」 「そう、魔女だ」 少し勝気な笑顔を浮かべ、レティはテーブルの上に置かれていた手を持ち上げ、軽く握った。 次に開くと、その掌にはオレンジ色の光が揺らめいていた。 「魔法使い‥‥」 「だから判るんだよ、私には。つい数時間前にここにやってきたヤツが、普通じゃないってことくらいは」 彼女が再び手を握ると、光は消えた。 レティは、金色の前髪の奥から、眼鏡のレンズを通してアルカとユニを見つめる。 凍りつくほどに冷たい視線に晒され、ユニはぶるりと肩を震わせた。 「ここはアリアハンだしな。あれほどの魔力を発するヤツなんて、一人くらいしか思い当たらない」 悟ったように小さく笑うと、リキュールのグラスを仰いだ。 「ねえレティ、それって‥‥」 ルイーダが言いかけるのを、レティはグラスを掲げることで遮る。 「それ以上言うな。心配は要らない。余計な不安を煽るのは得策じゃないぞ」 「‥‥」 ルイーダはなおも何か言いたげに口を開いた。 だがレティの視線に射抜かれたように彼女から目を背けると、きゅ、と唇を噛んだ。 「そういうわけだ」 レティがアルカ達に向き直る。 「君達もあまり余計なことを言うなよ。故郷を混乱させたくなかったらな」 「わかってる」 珍しく、アルカが即答した。 「あいつは魔王の手先だ。だから、ぼくたちが倒す」 「なるほど」 ふん、とレティは鼻で笑い、目を細めた。 「いい覚悟だ、お嬢さん」 「ぼくは勇者だ」 「そうだったな」 ことり、とグラスをテーブルに降ろす。 そうしてレティは、その向こうのルイーダに三杯目のアルコールを注文した。 「あんたね、昼間っからそんなに飲んで――」 「昼間っから酒場を開いてる店主の言うことか」 「‥‥はいはい」 ルイーダは呆れ顔でグラスを手に取り、ふと手元を見てミルクが切れていることに気付くと、裏のキッチンへと入っていった。 「さて。先ほどの続きだ。ルーラは使えない、ならば出る手段は船だな」 「船‥‥」 アルカが絶望的な顔をする。 ここ10年、アリアハンが一隻の軍艦すら海に浮かべていないのは有名な話だ。 文字通り孤島となったアリアハンに軍備を増強する手段は無く、それゆえに魔物達へ攻め入ることもできない。 何もかもは、19年前にこの国を襲ったあの災厄が原因だった。 たった一人の魔族の女により、アリアハン海軍は壊滅。 国の軍力のほとんどを賄っていた魔道士の集団、王国七賢はことごとく死亡。 それでもオルテガがこの国を出るまでは、何度か艦隊の出撃もあったのだが、いい結果は一度として生まれなかった。 言うなれば今の状態は、諦めであった。 「イカダとか小さな船で出ても、難破して遭難して漂流するのが関の山。話にならないわけか」 「海路は最初から諦めてるです」 ユニが俯く。 「‥‥レティちゃん」 「――ちゃん?」 眉をひそめたレティが顔を上げる。 「なんだ勇者さま」 「その、レティちゃんは魔法使いなんだよね」 「魔女だと言ったろう」 「でも、魔法使えるんでしょ?」 「‥‥だったらなんだ」 「えっと」 アルカが、意を決したように両手を胸の前で重ねて、言った。 「レティちゃんならルーラ使えるでしょ?」 「えっ」 声をあげたのはユニだった。 確かにそれは盲点といえば盲点だったかもしれない。 しかしルーラといえば、世界最大の知識が集まるダーマ神殿でも選りすぐりの魔法使いしか使えない魔法。 アリアハンの七賢は独特ながらも魔道の研究が進んでいたために扱うことができたらしい。 とはいえ、簡単な契約だけをしてメラとかギラとか使える程度で自分を「魔法使いだ」などと自慢する連中には、間違っても会得できない呪文だ。 それを。 「使えるよ」 金と黒の魔女は、事も無げにそう言った。 「――へ?」 「私を誰だと思ってる。魔女だぞ。魔女が空を飛べなくてどうする」 心外だな、とでも言いたげに、びっくりして目を丸くしているユニを睨むレティ。 「じゃあ、ぼくたちを連れてってよ」 今にも飛び跳ねそうな明るい声でアルカが言うのへ、レティは冷たく言い返した。 「どこにだ」 「へ」 「どこに行くんだ? ルーラって呪文は、今まで行ったことがあって、強くイメージができる場所じゃないと行けない。だから私にも限界がある。それに」 「はいどうぞ、ミルクリキュール三杯目」 ルイーダが、ちょっと乱暴にグラスをレティの目の前に置く。 それが何故だか判らないレティは眉を寄せたが、そのままたいして気にすることもなくグラスを手にとって一杯喉に流し込むと、続けた。 「例え私が魔王の居城へ行けたとして、いきなり行ってどうするつもりだ? まともに戦えると思ってるのか」 「あ‥‥そっか」 はた、とアルカが口元に手を当てる。 「君の父親だって、世界を放浪したからあれだけ強くなったんだし、仲間にも巡りあえたのだろうよ」 グラスを回しながら、レティがため息混じりに言う。 「というわけだから、地道に探すしかないだろうな。そんな手段は」 残ったリキュールを一気に飲み干すと、レティは席を立ってポケットから小銭を出した。 「ご馳走様、マスター」 「いえいえ、どういたしまして」 営業スマイルでレティに頭を下げるルイーダ。 それに肩をすくめると、レティは片手を顔の前まで持ってくると、手首をくるりと回した。 と同時に、そこに真っ黒な三角帽子が現れた。 「‥‥」 ぽかんとそれを眺めるアルカとユニに一瞥をくれたレティは、自分の頭にそれを乗せるとマントを翻し出口に向かい歩き出し。 「あ、そうだ」 と、歩みを止めた。 「一つだけヒントをやろう、将来の勇者一行」 身体を振り向かせず、ただ顔だけを横に向け、視線を背中のアルカ達に投げる。 口元に浮かぶ笑みは、どこかしら挑戦的で小憎らしかった。 「高位の魔道士は、旅の扉といわれる転送装置を創り出し、また管理することが仕事の一つになっている」 くい、と帽子のツバを少しだけ持ち上げて、レティは続ける。 「"王国七賢はことごとく死亡した"が、一人だけ生きている。そして、生きている以上そいつの旅の扉もまた生きているはずだ」 「ほんと!?」 「さあな、実際のところは知らん。憶測でモノを言っているだけだ。しかしな」 レティの目が細くなる。 「ルーラ遣いも船もなく、君の父はどうやってこの国を出たんだ?」 アルカが何かを言う前に、レティは足音も立てずに酒場から出て行った。 * * * 「でも、そっか。確かにそうかも」 カウンター席に座りなおしたアルカとユニの向かい側に立つルイーダが、テーブルに頬杖をついたままの格好で、ぼんやりと言った。 「10年前の時点でルーラ遣いは、つまり七賢はいなかったわけだし、軍艦の出撃も止まってたんだから‥‥」 「アルのお父さまは、それでもどうにかしてこの国を出ていったです」 「そういうこと」 ユニの発言に、ルイーダはウィンクして頷いた。 「それはつまり‥‥」 アルカが呟く。それを受けて、ユニはにんまりと笑みを浮かべて、 「七賢の生き残り、です」 自信満々に、言った。 「でもそれって、どこにいるんだろ?」 「‥‥」 そしてアルカの、当然な疑問に、ばたんと突っ伏すのだった。 「うう、まだ先に進まないです‥‥」 「進んでるじゃない、しっかり」 ルイーダが、ユニの頭をぽんぽんと叩く。 「それにね。あたし、たぶん知ってるわ、その人」 「え!?」 がばっとユニが頭を起こす。 「さっきのレティの話聞いて繋がったんだけど。たぶん、だよ。そこを強調するからね」 アルカとユニが首を縦に振るのを待ってから、ルイーダは神妙な顔をして口を開く。 「大陸の北に、レーベって小さい村があるの。そこに、20年近く前から隠遁してるおじいさんがいるって話」 「レーベ‥‥」 アリアハンは、少なくとも土地の面積的には、そう大きい国ではない。 だから、王都アリアハン以外に栄える都市は意外と少なく、そのほかはぽつんぽつんと集落が点在する程度である。 そのうちのひとつに、レーベという村があった。 「それだけだったら別にいいんだけど、そのおじいさん、ずーっと、なんかヘンなモノ創ってるらしいの」 「ヘンなもの?」 ユニが首を捻る。 「それがどうやら、魔法を使ってるって噂。だからみんな、あのおじいさん実は魔法使いなんじゃないかって話してるんだって」 「魔法使い」 それだ、とユニは確信する。 アルカも、笑顔を浮かべて立ち上がった。 「レーベ村だね。ありがと、ルイーダ」 「どういたしまして。あ、でも、外れかもだから、期待しないでね?」 「うん、いいのいいの。冒険は、そうでなくちゃ。ユニ、行こう」 「はいです」 アルカに従ってユニも椅子から立つと、アルカはユニの手を引いて出口へ駆け出していった。 「じゃねー、ルイーダ。行ってきまーす!」 「はいはい」 ひらひらと手を振る。 ドアを開いて出ていってもなお、ルイーダはしばらく手を振り続けていた。 「あーあ」 しばらく経ってふと見れば、二人に出したミルクのグラスが置かれたままになっていた。 「ルシア、泣いてるだろうな」 ふと10年前を思い出した。いや、あれはもっと前だったか。 オルテガの訃報が届いたときじゃない。オルテガが出立したときだ。 あのときも彼女は、オルテガを送り出したあと、部屋に一人で篭って、泣いていた。 ルイーダとしても、彼女の泣き顔は見たくない。 ――実際には見たくて仕方なかったが、その涙がルイーダのせいで流れたものではないことが、興味を殺がせた。 「どうせ泣くならあたしの胸で、あたしの為に泣いてくれ、なんてね」 くだらないと思いながらコップを流しに置いて洗う。 どうせ家族には勝てないし、どうせ家族にはなれない。 親子揃ってあんな美人を泣かせるとは何て奴らだ、と、ルイーダは苦笑しながら毒づいた。 水が冷たかった。
008/End |