ルイーダの酒場は、たくさんの冒険者が集う、大陸一賑わう酒場だ。 ここで数々のパーティが誕生し、また、解散することも多く、そういった事情から、「出会いと別れの場所」とも評される。 その酒場の店主であり、店名にもなっているルイーダ。 男勝りで強気な気概からたくさんの男達に言い寄られながら一切を蹴散らす彼女は、この酒場の"三代目"ルイーダである。 彼女の本名が何なのか、知る者はいない。 ただ、どうやらアルカの母親であるルシアは、ルイーダと旧知であるらしいので、もしかしたら知っているのかもしれないが。 しかしそれでも、誰もが彼女をルイーダと呼び、ゆえに、ルイーダとしてしか知られていない。 母親と知り合いであるという理由から、アルカもまた、未成年でありながらルイーダとはよく交流を深めていた。 そして今回、旅立つに当たって、情報収集の場として王が紹介したこの酒場に、アルカはユニを伴って訪れていた。 ルイーダによって奥のカウンター席に通される二人。 ふと気付くと、そこには先客がいた。 「あら、アンタ来てたの」 「客にその言い草は無いだろう」 カウンター席に座り、頬杖をついてルイーダを睨みつける女性。 首から足元まで全身真っ黒の服装。踝辺りまで隠しそうなマントが重そうだ。 肌は白く、髪は眩しい金髪。恐らくはずいぶん長いであろうそれは、纏め上げて後頭部で結ばれている。 そして何より、灰色の瞳を覆う眼鏡。知的な雰囲気と緊張感をまとっている。 その女性は、ルイーダの後ろに立っていたアルカとユニに視線を移した。 アルカはちょこんと首を傾げ、ユニはアルカの背中に隠れる。 「‥‥未成年?」 「いいのいいの。お客さんには変わりないから。せっかくだから紹介しようか。この子、レティ」 ルイーダはアルカたちに向き直り、冷たそうな瞳でじっと自分達を見つめる女性を紹介した。 レティと紹介された女性の目が細まり、値踏みするかのようにアルカを見つめた。 「はじめまして、レティさん」 「‥‥」 にぱっと笑みを広げて挨拶するアルカに、レティは沈黙を返す。 「で‥‥こっちは?」 「この子達は、この町の英雄。アルカに、ユニちゃん」 「アルカ‥‥?」 それまでどことなく興味なさそうに二人を見つめていたレティは、その名を聞いて身体を起こした。 「そ。英雄オルテガの忘れ形見」 「オルテガの娘‥‥」 レティはゆっくりと椅子から降りると、にこにこしているアルカと怯えているユニに歩み寄っていく。 おもむろにアルカの顎に触れた。ひんやりとした手の感触が、アルカに伝わる。 「ふうん‥‥」 くいっと顎を上げさせ、まるでキスするかのように顔を近づけるレティ。 「なるほど‥‥これが‥‥」 「だめー!」 がくんとアルカの身体がのけぞる。ユニが思いっきり後方に引っ張ったのだ。 自分の手からアルカの顔が離れ、レティは視線を上げた。その先に、涙目になって自分を睨む少女の姿が映る。 「‥‥なるほど」 レティは小さく肩をすくむようにすると、改めて椅子に座りなおすと、ようやくカウンターの向こうに入ったマスターにミルクリキュールを注文した。 「お嬢ちゃんたちも、こっちに座って」 ルイーダに促され、二人はレティの隣の椅子を空けたその隣に、並んで座った。 「‥‥アル、あの女の人、危険だと思うです」 「危険? そうかな。あんまり怖くないけど‥‥」 「ともかく、危険です!」 「‥‥?」 アルカの陰に隠れながらこそこそと呟き、ユニはレティを睨みつける。 その声が聞こえたのか聞こえなかったのか、ふとレティがこちらに振り向いた。 「!」 「‥‥」 が、彼女は何も言おうとせずに、再び顔を正面に向けた。と同時に、その手元にミルクリキュールのグラスが置かれる。 「あんまりウチの子達脅かさないでよ。アンタ、ただでさえバケモノじみてるんだから」 「‥‥」 からん、と音を立てて氷を崩すグラスを、レティは黙って見つめていた。 「――そうそう、ねえ、アルカ、それにユニちゃん。これからどうしたらいいか、旅立つ前の情報を集めに来たんでしょ?」 ルイーダが話を戻すと、アルカがこくこくと頷いた。 「当座の目標は?」 「とうざ?」 「とりあえず、ってことです、アル」 「ああ、うん、そっか。えーっと‥‥魔王を倒すことかな?」 「それは、とりあえずとは言わないと思うよ、アルカ‥‥」 ルイーダは苦笑しつつ背中を向けて、手近なグラスにミルクだけを注いでアルカとユニにそれぞれ差し出す。 「これはサービス。というか出世払いかな。支払いは、魔王を倒すことで払ってもらう」 「魔王を倒せばいいのです?」 「そうそう」 ユニの発言にルイーダが頷く。 「だから、それまでは死んじゃダメだから」 ルイーダは自らも紺色の液体の入ったグラスを取り出して、二人のグラスにかちんとぶつけた。 「乾杯。ともかく、飲んでよ」 「うん、ありがとう、ルイーダ」 「ありがとうです」 「どういたしまして」 ルイーダが自分のグラスを一気に煽るのを見て、アルカとユニも一瞬だけ顔を見合わせてから、同時に飲み干した。 「当面の目標は、この大陸を出ることでいいんじゃない?」 「そうです。そうしないと始まらないです」 「でも、どうやって?」 「それを考えるのが、冒険の面白いところなんじゃないの、勇者さま?」 そう言ってルイーダが笑った。 「そうだね。そうだよね」 「うんうん」 「まず最初の手段は、移動呪文のルーラです」 ユニが、一本指を立てて言った。 「そう。でもルーラを使える高位の魔法使いは、もうこの大陸のどこにもいない」 ルイーダが続ける。アルカは、昼間に玉座の間で出会った魔女を思い出した。 「‥‥魔法戦役‥‥」 「よく知ってるわね、アルカ。それなりに勉強したんだ」 「わたしが教えたです」 「あら、そうなんだ」 ユニが胸を張ってそう言うと、ルイーダは、肩を震わせてくすくすと笑った。 「それにさっき‥‥」 「うん?」 「あ、えっと、なんでもないです」 昼間の突然の襲撃のことは、言わないほうがいいと王に言われていたことを思い出す。 「さっき、なんだ?」 「え?」 ユニの三つ隣の席から、金髪の女性がじっとこちらを睨むように見ていた。 「さっき、なにがあった?」 「な、なんでもないです。なんでもないですよ、ね、アル?」 「え? あ、えっと‥‥」 「ほんの数時間前にここで異常な魔力の蠢動を感じた。だから戻ってきたのだが、私が着いたときにはもう何も起こっていなかった。勘違いかとも思ったが」 こと、とグラスをテーブルに置いて、レティは誰に言うでもなく、独白するように言った。 「私が魔力に関して勘違いを起こすことなど有り得ない。間違いなく何かが起こった。町か、城でだ」 「レティ、あんた、何言ってんの?」 「私は自惚れ屋であるつもりはないが、自分の能力を過小評価しない。何があったのか、君達は知ってるんだろう?」 「そ、それは‥‥」 ユニが萎縮する。レティのまとう空気は、明らかに周囲より温度が低くなっていた。 「悪いようにはしない。教えろ」 「そういうわけには、いかないです‥‥」 「いいから」 その眼鏡の奥から発せられる眼光は、まるで魔術のように、ユニを縛り付けていく。 その縄を断ち切ったのは、アルカの凛とした一言だった。 「教えられないよ」 気付けば、アルカは、レティからユニを守るように立ちふさがっていた。 そして強い調子で言い放つ。 「これは王さまとの約束だ。知りたければ、王さまに聞けばいい」 「‥‥」 レティが沈黙する。 「それとも、これ以上ユニを困らせるなら、ぼくは許さない」 「‥‥そうか」 レティはアルカから視線を外して、ルイーダにリキュールをもう一杯注文した。 「若いというのはいいものだ。自分の思ったとおりに突っ走っても方向転換が効く」 レティの呟く口元が、不気味に歪んでいた。 「言っておくが」 椅子の上に座ったまま、レティは身体をこちらに向きなおして。 不敵な笑みを浮かべ、言った。 「私は魔女だ」
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