「これから先の道のりを決めるなら、酒場で情報を集めたらどうだ?」 というアリアハン王の一言で、世間知らずの二人組はルイーダの酒場へと向かった。 決して16才と12才が入れる場所ではないが、アルカにとってその女主人ルイーダは昔からの知り合いなのだ。 ルイーダの話では、彼女はアルカの母親ルシアと長い付き合いがあり、その関係はルシアがオルテガと出会う遥か前からだということだ。 そしてルイーダは、アルカが生まれてからはまるで自分の子供のように溺愛し、また、オルテガを失ったルシアを三日三晩かけて慰めたこともある。 幼いアルカには、どうやってルイーダが母を慰めたのかが気になって問いただしてみたが、にこにこと笑うだけでルイーダは答えてくれなかった。 * * * からんころん、と、来客を知らせるベルが鳴る。 ユニは、臆することなく店内へ入ってくユニのマントを掴んで、恐る恐る入り口をくぐった。 途端に鼻につく、お酒の匂い。 むわっとした独特の空気に、思わずユニは顔をしかめた。 そして辺りを見渡す。 屈強な男、狡猾そうな男、ローブを羽織った不気味な男、どこもかしこも男だらけ。 「アル‥‥」 不安そうに隣の勇者を仰ぐユニに気付く様子もなく、アルカは足を進める。 と。 その瞬間、いくつもの丸いテーブルから、男達が立ち上がった。 「ひっ」 一斉に椅子を引く音がして、ユニはびくりと肩を震わせる。 こんなにたくさんの男達が一気に襲ってきたら、いくらアルカだってどうにもならないのではないだろうか。 ぎゅ、と、掴む手がきつくなる。 「よおアルカ、ずいぶんとめかしこんでるなあ!」 「うん、今日、旅立ちだから」 「おおっ、やっぱりな。思ったとおりだぜ。今日はお前の誕生日だもんな」 「すっかり勇者らしくなって、オルテガの兄貴も喜んでるぜ!」 自分よりもずっと背の高い男達に囲まれて、アルカは楽しそうに頬を緩ませている。 男達も、かかってくる気配などこれっぽっちもなく、むしろアルカに会えて嬉しそうな顔をする。 呆然としてその様を見上げていると、男達の一人がユニに気付いた。 「ん? おや、このお嬢ちゃんは‥‥」 「ユニだよ。ぼくの仲間」 「お嬢ちゃん」 「は、はいっ」 丸坊主に顔の下半分が髭に覆われた怖そうな顔の男が、腰を屈めてユニに視線を合わせてくる。 「もしかして、ノルン神父んとこの?」 「え? ‥‥えっと、はいです」 ぎこちなくこくりと頷くと、髭面の男はにんまりと口をゆがめた。 「ほほー。そりゃすげぇや。どう見たってアルカより年下なのに、やるな、嬢ちゃん。ノルンのヤツも根性あるや」 ユニの父親であるノルン神父は、この町で教会を開いてからまだ日が浅いほうだ。 しかしそれでも、それなりに地元の人々の信頼は得ているらしくて、ユニは心の中でほっと息をつく。 「あ、で、でも、わたしのお父さんは、わたしが旅立つこと、ゆるしてくれてないです。わたし、逃げだしてきたです」 「え?」 ぴたり。空気が止まったようだった。 男達の視線が自分に集まっているのをひしひしと感じて、ユニは怖くなって俯いた。 「逃げ出したって、教会から? 神父の家からか?」 「そ、そう、です‥‥」 とたんに怖くなった。 怒られるかもしれない。連れ戻されてしまうかもしれない。 あれだけ大見得を切って家を出てきたのだし、お姫さまにも自信ありげなことを言ってしまった。もう戻れない。 内心のびくびくを隠しながら、アルカの背中からそっと辺りをうかがう。 男達がどんな顔をしているのか。もうアルカと離れたくはないのだ。 しばしの静寂ののち、酒場がどっと沸いた。 「あはははは! そうか、そうなのか! 逃げてきたのか、そりゃいいや!」 「あのノルン神父でも、娘には手を焼かされるんだな、あははは!」 「え、え?」 いきなり笑い出した男達を見て、ユニは疑問が隠せずに困惑する。 脇のアルカは、能天気にあはははと笑っていた。 「しかし嬢ちゃんもやるなあ。そこまでして旅に出たかった理由はなんだ? 正義のためか?」 「アルのためです」 それだけは答えが決まっていた。脊髄反射のように即答した。 「ほお! それはすごい! ようアルカ、お前ずいぶん好かれてるじゃないか!」 「うん、ぼくだってユニのこと大好きだもん」 「‥‥!」 そんな不意打ちにユニの頬が赤く染まる。 「嬢ちゃん、度胸あるな。気に入ったぜ」 「あ、あう‥‥」 「ユニが怖がってるじゃん。おじさん、顔がおっかないんだもん」 「うう、それを言うなよアルカ‥‥」 「はははは! 仕方ねぇよ、アルカ。レイのやつ、自分の娘にも泣かれてるんだもんな、その顔で」 「年頃とかそういう問題じゃねーよな。自分の子供に怖がられる親なんて見たことねぇよ!」 「気にしてるんだからそういうこと言うなよ、てめぇら!」 「だったら顔変えてみやがれ! 魔法使いにでも転職したらどうだ? 変身の魔法とか教えてくれるだろ!」 「言いやがったな、てめぇ!」 確かに顔は怖いし声も大きいし身体もがっちりとしていて、どこか他人を怯えさせるような風貌ではあるけれど。 しかしそれでも、悪い人たちじゃないんだということは、ユニにも判った。 アルカが楽しそうに男達と話しているのも、ユニを安心させる効果があったようだ。 やがてユニは、自分でも知らない間に、男達やアルカと共に、大きな声で笑いながらその場になじんでいた。 「そうだ、ユニちゃん、だったな、お嬢ちゃん」 「そうです」 こくりと頷くと、ぼさぼさの長髪に面長の男が、手に持った大きなグラスをユニの眼前に差し出した。 「旅立ちの記念だ。飲まねぇか?」 「え? これ‥‥お酒、です?」 目の前の液体はきれいな琥珀色をしていて、ゆらゆらとその向こうの男の顔を揺らしている。 「一応な。でも、ほとんどジュースみてぇなもんだ。リンゴの味がするぜ。ほら、匂いも、な?」 「‥‥ほんとです」 液体から漂ってくる香りは、ここに入ってきたときに感じた臭い匂いではない。 甘く爽やかなリンゴの匂いが、どこか気分を穏やかにさせてくれた。 「ちょっとだけでも、な? 人生、経験だぜ」 「あう、でも‥‥」 「ここだけの話、アルカだってここで飲んでんだ。気にすることねぇよ」 「アルも、ですか?」 「そう。それにな、あの神父さまだって、時々ここに来て、奥さんの思い出話とかしてくれるんだ」 「お父さんも‥‥」 聖職者の立場としては想像できないが、大好きなひとを失った一人のひととして、そこのカウンター席で寂しげに佇む姿が、今のユニには容易に想像できた。 「このリンゴの酒は、神父さまがよく飲んでるやつだ。大人の味がするぜ」 「‥‥じゃ、じゃあ、ちょっとだけ‥‥」 まるで甘い誘惑。 リンゴの匂いに誘われてふらふらとグラスに手を伸ばし、掴もうとした瞬間に、グラスはその場から消えた。 ユニの両手はそのまま中空を握って、何も無いことに気付いたユニが、はたと首を傾げる。 「タレスの兄さん、子供に酒を勧めるな」 ちょっと低くて、凛とした良く通る女性の声。 その呆れ交じりの呟きみたいな声に、その場が一瞬、さあっと静まった。 「あ、ルイーダ」 騒ぎの中心にいたアルカが、一人だけその空気を読めないかのように口を開く。 呼びかけられたその女性、深い紫色の露出度の高いドレスを纏ったルイーダは、パーマをかけた長い黒髪をうっとおしそうに掻き揚げて、その場の全員に聞こえるくらいの大きな声で言った。 「ほらみんな、今日はアリアハンの勇者の旅立ちだ。一日目から、あんまり犯罪的なことさせんなよー」 酒場のマスターというより、王宮に仕える女剣士といったほうがよさそうな声に反して、その格好はどこからどう見ても、大人のお店の店員だ。 そんな彼女が、手に持った琥珀色のグラスを、一気にぐいっと煽って飲み干すと、周囲から歓声があがる。 「よっ、ルイーダ、男勝り!」 「あんたにゃキラーエイプだって逃げ出すぜ!」 「うるさいっ! ほら、あたしはこの子らと話があんだ、男は男達でわびしく飲んでろ!」 空になったグラスを手近なテーブルに置くと、ルイーダはとろんとした瞳で、アルカとユニを交互に見つめて、奥のカウンター席を指差した。 「話があるんだろ? 静かなほうがいいからな、あっちに行こう」 酔っ払っているみたいな足取りでそちらに向かうルイーダについて、アルカとユニもカウンターに向かった。
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