ドラゴンクエストV:メイデンフェイブル
「006」

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「これから先の道のりを決めるなら、酒場で情報を集めたらどうだ?」
 というアリアハン王の一言で、世間知らずの二人組はルイーダの酒場へと向かった。
 決して16才と12才が入れる場所ではないが、アルカにとってその女主人ルイーダは昔からの知り合いなのだ。
 ルイーダの話では、彼女はアルカの母親ルシアと長い付き合いがあり、その関係はルシアがオルテガと出会う遥か前からだということだ。
 そしてルイーダは、アルカが生まれてからはまるで自分の子供のように溺愛し、また、オルテガを失ったルシアを三日三晩かけて慰めたこともある。
 幼いアルカには、どうやってルイーダが母を慰めたのかが気になって問いただしてみたが、にこにこと笑うだけでルイーダは答えてくれなかった。

     * * *

 からんころん、と、来客を知らせるベルが鳴る。
 ユニは、臆することなく店内へ入ってくユニのマントを掴んで、恐る恐る入り口をくぐった。
 途端に鼻につく、お酒の匂い。
 むわっとした独特の空気に、思わずユニは顔をしかめた。
 そして辺りを見渡す。
 屈強な男、狡猾そうな男、ローブを羽織った不気味な男、どこもかしこも男だらけ。
「アル‥‥」
 不安そうに隣の勇者を仰ぐユニに気付く様子もなく、アルカは足を進める。
 と。
 その瞬間、いくつもの丸いテーブルから、男達が立ち上がった。
「ひっ」
 一斉に椅子を引く音がして、ユニはびくりと肩を震わせる。
 こんなにたくさんの男達が一気に襲ってきたら、いくらアルカだってどうにもならないのではないだろうか。
 ぎゅ、と、掴む手がきつくなる。
「よおアルカ、ずいぶんとめかしこんでるなあ!」
「うん、今日、旅立ちだから」
「おおっ、やっぱりな。思ったとおりだぜ。今日はお前の誕生日だもんな」
「すっかり勇者らしくなって、オルテガの兄貴も喜んでるぜ!」
 自分よりもずっと背の高い男達に囲まれて、アルカは楽しそうに頬を緩ませている。
 男達も、かかってくる気配などこれっぽっちもなく、むしろアルカに会えて嬉しそうな顔をする。
 呆然としてその様を見上げていると、男達の一人がユニに気付いた。
「ん? おや、このお嬢ちゃんは‥‥」
「ユニだよ。ぼくの仲間」
「お嬢ちゃん」
「は、はいっ」
 丸坊主に顔の下半分が髭に覆われた怖そうな顔の男が、腰を屈めてユニに視線を合わせてくる。
「もしかして、ノルン神父んとこの?」
「え? ‥‥えっと、はいです」
 ぎこちなくこくりと頷くと、髭面の男はにんまりと口をゆがめた。
「ほほー。そりゃすげぇや。どう見たってアルカより年下なのに、やるな、嬢ちゃん。ノルンのヤツも根性あるや」
 ユニの父親であるノルン神父は、この町で教会を開いてからまだ日が浅いほうだ。
 しかしそれでも、それなりに地元の人々の信頼は得ているらしくて、ユニは心の中でほっと息をつく。
「あ、で、でも、わたしのお父さんは、わたしが旅立つこと、ゆるしてくれてないです。わたし、逃げだしてきたです」
「え?」
 ぴたり。空気が止まったようだった。
 男達の視線が自分に集まっているのをひしひしと感じて、ユニは怖くなって俯いた。
「逃げ出したって、教会から? 神父の家からか?」
「そ、そう、です‥‥」
 とたんに怖くなった。
 怒られるかもしれない。連れ戻されてしまうかもしれない。
 あれだけ大見得を切って家を出てきたのだし、お姫さまにも自信ありげなことを言ってしまった。もう戻れない。
 内心のびくびくを隠しながら、アルカの背中からそっと辺りをうかがう。
 男達がどんな顔をしているのか。もうアルカと離れたくはないのだ。
 しばしの静寂ののち、酒場がどっと沸いた。
「あはははは! そうか、そうなのか! 逃げてきたのか、そりゃいいや!」
「あのノルン神父でも、娘には手を焼かされるんだな、あははは!」
「え、え?」
 いきなり笑い出した男達を見て、ユニは疑問が隠せずに困惑する。
 脇のアルカは、能天気にあはははと笑っていた。
「しかし嬢ちゃんもやるなあ。そこまでして旅に出たかった理由はなんだ? 正義のためか?」
「アルのためです」
 それだけは答えが決まっていた。脊髄反射のように即答した。
「ほお! それはすごい! ようアルカ、お前ずいぶん好かれてるじゃないか!」
「うん、ぼくだってユニのこと大好きだもん」
「‥‥!」
 そんな不意打ちにユニの頬が赤く染まる。
「嬢ちゃん、度胸あるな。気に入ったぜ」
「あ、あう‥‥」
「ユニが怖がってるじゃん。おじさん、顔がおっかないんだもん」
「うう、それを言うなよアルカ‥‥」
「はははは! 仕方ねぇよ、アルカ。レイのやつ、自分の娘にも泣かれてるんだもんな、その顔で」
「年頃とかそういう問題じゃねーよな。自分の子供に怖がられる親なんて見たことねぇよ!」
「気にしてるんだからそういうこと言うなよ、てめぇら!」
「だったら顔変えてみやがれ! 魔法使いにでも転職したらどうだ? 変身の魔法とか教えてくれるだろ!」
「言いやがったな、てめぇ!」
 確かに顔は怖いし声も大きいし身体もがっちりとしていて、どこか他人を怯えさせるような風貌ではあるけれど。
 しかしそれでも、悪い人たちじゃないんだということは、ユニにも判った。
 アルカが楽しそうに男達と話しているのも、ユニを安心させる効果があったようだ。
 やがてユニは、自分でも知らない間に、男達やアルカと共に、大きな声で笑いながらその場になじんでいた。
「そうだ、ユニちゃん、だったな、お嬢ちゃん」
「そうです」
 こくりと頷くと、ぼさぼさの長髪に面長の男が、手に持った大きなグラスをユニの眼前に差し出した。
「旅立ちの記念だ。飲まねぇか?」
「え? これ‥‥お酒、です?」
 目の前の液体はきれいな琥珀色をしていて、ゆらゆらとその向こうの男の顔を揺らしている。
「一応な。でも、ほとんどジュースみてぇなもんだ。リンゴの味がするぜ。ほら、匂いも、な?」
「‥‥ほんとです」
 液体から漂ってくる香りは、ここに入ってきたときに感じた臭い匂いではない。
 甘く爽やかなリンゴの匂いが、どこか気分を穏やかにさせてくれた。
「ちょっとだけでも、な? 人生、経験だぜ」
「あう、でも‥‥」
「ここだけの話、アルカだってここで飲んでんだ。気にすることねぇよ」
「アルも、ですか?」
「そう。それにな、あの神父さまだって、時々ここに来て、奥さんの思い出話とかしてくれるんだ」
「お父さんも‥‥」
 聖職者の立場としては想像できないが、大好きなひとを失った一人のひととして、そこのカウンター席で寂しげに佇む姿が、今のユニには容易に想像できた。
「このリンゴの酒は、神父さまがよく飲んでるやつだ。大人の味がするぜ」
「‥‥じゃ、じゃあ、ちょっとだけ‥‥」
 まるで甘い誘惑。
 リンゴの匂いに誘われてふらふらとグラスに手を伸ばし、掴もうとした瞬間に、グラスはその場から消えた。
 ユニの両手はそのまま中空を握って、何も無いことに気付いたユニが、はたと首を傾げる。
「タレスの兄さん、子供に酒を勧めるな」
 ちょっと低くて、凛とした良く通る女性の声。
 その呆れ交じりの呟きみたいな声に、その場が一瞬、さあっと静まった。
「あ、ルイーダ」
 騒ぎの中心にいたアルカが、一人だけその空気を読めないかのように口を開く。
 呼びかけられたその女性、深い紫色の露出度の高いドレスを纏ったルイーダは、パーマをかけた長い黒髪をうっとおしそうに掻き揚げて、その場の全員に聞こえるくらいの大きな声で言った。
「ほらみんな、今日はアリアハンの勇者の旅立ちだ。一日目から、あんまり犯罪的なことさせんなよー」
 酒場のマスターというより、王宮に仕える女剣士といったほうがよさそうな声に反して、その格好はどこからどう見ても、大人のお店の店員だ。
 そんな彼女が、手に持った琥珀色のグラスを、一気にぐいっと煽って飲み干すと、周囲から歓声があがる。
「よっ、ルイーダ、男勝り!」
「あんたにゃキラーエイプだって逃げ出すぜ!」
「うるさいっ! ほら、あたしはこの子らと話があんだ、男は男達でわびしく飲んでろ!」
 空になったグラスを手近なテーブルに置くと、ルイーダはとろんとした瞳で、アルカとユニを交互に見つめて、奥のカウンター席を指差した。
「話があるんだろ? 静かなほうがいいからな、あっちに行こう」
 酔っ払っているみたいな足取りでそちらに向かうルイーダについて、アルカとユニもカウンターに向かった。

006/End



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