玉座の間は、魔女が去ってからもしばらく、誰一人として口を効けない重苦しい沈黙に包まれた。 どんよりとした息苦しい、どす黒い何かが空間を覆っているようで、身動き一つ取れない。 その中にあって、ただアルカだけが、魔女によって吹き飛ばされて壁に激突した一人の兵士の屍骸のそばに佇んでいた。 それをユニは、近づくこともできず、遠巻きに眺めているだけだった。 「‥‥王さま」 やがて、アルカが口を開いた。 その視線は足元の兵士に向いたまま、口だけがぼそぼそと、独り言を紡いでいるかのように動く。 部屋の中があまりに静かだったために運良くそれを聞き取れたアリアハン王は、はっとして顔を上げた。 「どうした、アルカ」 「あいつは、魔王の手下なの?」 普段の彼女は、勇者としての貫禄よりも歳相応に幼い少女としての面の方が目立つ子供だった。 むしろ少女というより少年といったほうがよいのかもしれないくらい、彼女は明るく活発な性質を持っている。 だからこそ、その静けさにアリアハン王も、そのそばにいたユニも、戦慄する。 「あの魔女‥‥エリシャは、魔王バラモスの命の下に動いている。間違いないだろうと思う」 「‥‥そう」 アルカは目を瞑り、一度大きく深呼吸すると、口の中で小さく何か呟いて、王のほうへ振り向いた。 「そろそろ行くね。セーラにも挨拶していかなきゃいけないし」 口元に湛えられている微笑みは、しかし全く感情を感じさせないものだ。 「この兵士さんたち、お墓に入れてあげてね」 「ああ、判っている。心配するな」 王が神妙に頷く。 それを見たアルカは入り口の扉に向かって歩き出し、ユニは慌ててそれを追った。 * * * ゆっくりと、階段を降りていくアルカ。 それに歩調を合わせながら歩くユニは、アルカの纏う雰囲気に、何も言葉が紡げないでいた。 何を言ったらよいのか判らないということもある。何も言えない空気だということもある。 しかしユニの決して短くないアルカとの関係の中で、ここまで彼女が沈み込んだ姿は見たことがなかった。 そうして階段を降りきったとき、その空気にあまりにもそぐわない高い声が辺り一面に響いた。 「アルカ!」 びくっとして、二人とも足が止まる。 声のしたほうを見ると、そちらから一人の少女が小走りに近づいてきていた。 目の覚めるような金髪は、ふわふわの巻き毛。白い肌に純白のドレス。 息を乱して走ってくる中にも、生まれついた気品のよさが伺える。 もちろん、その少女のことを、ユニは知っていた。 「‥‥王女さま?」 アリアハン国王の唯一の娘である、王女セーラ。 ユニが出会う前のアルカを知る、数少ないアルカの友人の一人だ。 今でもアルカは城によく出入りするから、アルカを巡ってはセーラとユニの対立は日常茶飯事であった。 ユニがあからさまにむっとした顔でアルカの隣に立っていると、走り寄ってきたセーラは、ユニを無視してアルカに抱きついた。 「うわ」 「もう、アルカったら久しぶりじゃない。このところ全然顔を見せてくれないし」 アルカから身体を離したセーラは、喜んでいるのがありありとわかる表情をしながら、ぷいと横を向いて頬を膨らませた。 「ごめん、いろいろと準備があって‥‥」 「アルカ、旅立つって本当?」 「え? あ、うん、まあね。これから出るつもり」 「これから、って、今日?」 セーラは青い瞳を真ん丸くして、驚いたという表情を作る。 ユニはアルカの隣で、ただその様をじっと見つめていた。 「いくらなんでも、いきなりすぎじゃないこと?」 「セーラには言ってなかったから‥‥」 「どうして?」 「それはその‥‥」 「アルは、お姫さまに付きまとわれるのがイヤだったです」 困るアルカの顔を見ていたら、なんだか無性に腹が立ったユニは、自分でも気付かない間に口走っていた。 「なっ‥‥」 セーラの顔が怒りに染まる。 「何を言ってらっしゃるのかしら、このおチビさんが」 「チ‥‥!? お姫さま、わたしよりも年下です!」 「そう、その通りですわ。それなのに私と同じ身長である時点で、おチビさん確定じゃありませんこと?」 「〜〜!」 ふふん、と勝ち誇った表情で胸を張るセーラに、ユニの怒りの導火線は燃え上がった。 「心配だったらアルのうちにでも行けばよかったです。ずっと会いにこなかったのはお姫さまも同じです!」 「わ、私は、お父さまの命令でここから出られないだけですわ!」 「愛があれば障害なんて乗り越えられるです!」 「そんな、戯言ですわ!」 「わたし、アルについていくことにしたです」 「え!?」 「わたしの父は反対してたですが、そんなもの無視して来ましたです。愛のなせる業です」 「ちょ、ちょっとアルカ! この女、こんなこと言ってる! 反論しないの!?」 「いや、えーっと‥‥いいんじゃないかな、って」 「なに言ってるのよ、アルカ。こんなおチビさん連れていったって‥‥!」 「わたしがついてくって言ったら、アル、わたしを抱きしめてお礼言ってくれたです」 「んなー!?」 まるで火山が爆発したようだった。 セーラは、小さい背で無理やりアルカの胸倉を掴もうとしたがうまくいかず、やっとのことで胸の辺りの布を掴むと、涙目と涙声になってアルカに詰め寄った。 「ほ、ほんとなの、アルカ!?」 「う、うん‥‥だって、嬉しかったし‥‥」 「うぅ、うう〜‥‥」 今にも声をあげて泣き出してしまいそうなセーラに、アルカは慌てて何か言おうとするが、何も思いつかずにおろおろしだした。 ユニは高笑いでもあげそうな顔をしている。 「ユニは、その、僧侶だし、ぼくを助けてくれるから‥‥」 「う、うそよ! そんなおチビさん、ホイミの一つも満足にあつかえないに決まってる!」 「なっ!」 失礼な、とは思ったが、ユニ自身、ホイミを完全に使えるわけではないことを思い出し、顔を真っ赤にしてセーラを睨みつける。 「‥‥そうだ!」 さっきまでの悔しそうな顔から一転、セーラは名案を思いついたと顔に書いてあるくらい判りやすい表情を浮かべた。 「どうしたの?」 アルカが律儀に聞き返す。促して欲しいとも、顔に書いてあったようだ。 「こうなったら、私もアルカと一緒に旅に出る!」 「えええっ!?」 青い瞳を涙と興奮できらきら輝かせて、セーラは、「そうだ、それしかないですわ」とか独り言を呟いている。 「アル‥‥」 「え?」 ちょんちょん、とユニは、アルカの腋を突っつく。 振り向いたアルカへ、こそこそと小さい声で告げた。 「この子こんなこと言ってるです。アルがどうにかしなさいです」 「えっ、でも、来てくれるなら嬉しいかも‥‥」 「ばか!」 「痛い!」 セーラに見えないように、ふくらはぎに一発蹴りを入れて、ユニはぴっと指を一本立てた。 「いいですか、アル、この子は仮にも、一国のお姫さまなのです。冒険させるわけにはいかないです。長い旅、何があるか判らないです」 「あ、そっか‥‥」 さすがにお姫さまを連れまわすわけにはいかない。 という一般的な道徳で丸め込むことができて、ユニはほっと息をついた。 あとはアルカの交渉術次第ということになる。 このお姫さまはワガママで自分勝手ということで有名だが、アルカに対してはなぜか素直にモノを聞いたりする。 もちろん、ユニにとっては単純にライバルが邪魔だというだけなのだ。 「あの、セーラ?」 「なに? そうと決まったらすぐお父さまにお話して、準備をしないと‥‥」 「無理だよ、セーラ」 「無理? 何が無理なの?」 「一緒には行けないよ」 「‥‥え?」 ぽかんとした顔でアルカを見上げるセーラ。 ユニは心の奥底で、ちょっとだけかわいそうかなとも思ったが、ここは自分の恋路とアリアハン王国の未来どちらも平和にこなせる手段を取るのが最もよいことだ。 うんそうだ絶対そうに決まっていると心の中で言い聞かせた。 「だって、セーラはお姫さまだもん。危ないし、王さまだって悲しむよ」 「で、でも、そのおチビさんは‥‥!」 「チビ言うなです!」 「ユニは魔法も使えるし、ぼくの友達だから‥‥」 「でもでも、私は、アルカの"いいなずけ"なのよ!」 「ええええっ!?」 セーラとアルカが同時にびくっと背筋を揮わせた。 大声を上げたのは、ユニだ。 二人のいる場所から数メートル後ずさり、ふるふると震える指をアルカに向ける。 「あ、あ、アル、それって‥‥」 「いいなずけ?」 アルカが首を傾げる。 「約束したじゃない! 私たち"いいなずけ"よ、って、ちっちゃいとき!」 「‥‥?」 むむむ、と腕を組んで何かを思い出そうとするが、アルカには思い出せなかったらしく、ユニのほうに振り向いてアルカは言った。 「ねえユニ、いいなずけって何?」 「えっ?」 それは、ユニとセーラが同時に出した声だった。 「い、いいなずけというのは、その、将来、けっこんする二人が交わす約束です‥‥」 「けっこん?」 耳慣れぬ言葉を聞いたかのようにアルカはまた首を傾げて、やがて思い出したかのようにぱっと顔を上げる。 「ああ、結婚かぁ。そっか。でもセーラ、ぼく、女だから、セーラとは結婚できないよ?」 「な‥‥!」 ごく当たり前のことを言ったはずなのに。 打ちのめされたように地面に膝をつくセーラを見ながら、アルカはまたまた首を傾げた。 * * * 「そ、そうか‥‥それはセーラがとんでもないことを言ったな。すまなかった、アルカ」 さめざめと泣き崩れるセーラをあやしながら、アリアハン王が苦笑した。 アルカは心配そうに、父親に抱かれるセーラを見つめ、ごめんね、と謝っている。 そしてユニは、どこか不機嫌そうにそっぽを向いていた。 「こいつにはあとでよく言っておくから、早く行くといい、アルカ、それにユニ。余計な手間をかけさせて悪かった」 「ううん、ぼくは平気だけど‥‥」 「アル、早く行くです!」 「え? う、うん‥‥」 ずんずんと歩を早めるユニに手を引かれながら、やっぱりアルカは何が何だか判らずに、首を傾げるのだった。
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