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『クリスマス』
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「うわ、寒っ!」
 昨日の昼間が天気良かったから、少し油断していた。
 白い息を吐きながら空を見上げる。オリオン座が見えた。
「さて、行きますか」
 とりあえず玄関に鍵をかけ、階段をカンカン音を立てながら降りる。

*

 買い物を終え、家へと帰る道すがら、見知ったオバサンに声を掛けられた。
「あら、どうしたの、お買い物?」
 僕の持っているコンビニの袋を見て、金物屋の店じまいをしていたオバサンが云う。
「ええ、まあ」
「こんな日にコンビニ弁当?」
 余計なお世話だ。
 とは云うに云えず、僕は曖昧な笑みを返す。
「一人で?」
「いえ、デートです」
「え?」
 首を傾げるオバサンに、僕は家から無理やり連れ出してきた彼女を指で示す。
 僕の厚手のコートの中で、胸元から首だけ出してじっとオバサンを見つめている彼女。
「ああ‥‥りおちゃん。こんばんは」
「‥‥」
 オバサンが微笑んで挨拶するが、りおは沈黙を返すばかり。
「今日、他の人は? 先生達は出かけてるの?」
「ええ‥‥仕事みたいで。みんな出払ってます」
「そう、大変ね、居候も」
 相変わらず歯に衣着せぬ野次馬な人種だ。
 そのあと、適当に挨拶するとオバサンと別れ、帰路に着く。
「そっか‥‥クリスマスだもんなぁ」
 普段からたいして繁盛しているように見えないこの商店街も、電気の無駄遣いとしか思えない量のイルミネーションを灯している。
 いつもは閑古鳥が鳴いている個人経営のケーキ屋ですら、今日ばかりはてんてこ舞いのようだ。
「そんな夜に僕は‥‥」
 胸元の彼女を見下ろす‥‥と、くうくうと寝息を立てている。
「こいつとデート‥‥はあ」

*

 しばらく行くと、僕の住んでいる家が見えてくる。
 雑居ビルの二階にある、『立花私立探偵局』‥‥それが僕の家だ。
 といっても、僕がそこを経営しているわけではない、当たり前だけど。
 僕は、そこの局長である立花先生にお世話になっている、居候、だ。さっきのオバサンの言葉を借りれば。

 拾ってもらってから、明日で丸2年が過ぎる。
 なんで捨てられていたのかとか、どうして居候になったのかとか、正直云って一切判らない。
 僕はそれ以前の記憶を、ほとんど欠落させているから。
 けど、別にそれで不都合になったこととかは無い‥‥少なくとも、最近は。
 確かに拾ってもらった当初は不安で一杯だったけど、今はもう、今の生活が一番いいと思える。
 ‥‥というか、それ以外の生活を知らないだけなんだけど。
「あー‥‥寒い」
 玄関のドアを開けると、応接室を通り抜けて居間に入る。
 この探偵局は、事務所と生活空間とが隣接しているので、居間のすぐ向こうに僕の寝室がある。
 さすがの先生も、女の子を自分と一緒に寝かせるわけにはいかなかったようだ。
「ほら、りお、起きろ」
 云うと、僕はコートを脱ぎ、胸元からりおを引きずり出す。
 突然寒いところに放り出された彼女は不満たらたらの目で僕を見るが、意に介さない。
 人の胸で寝ておきながらなんだその態度は。

 コンビニで買ってきた鍋焼きうどんを火にかけ、石油ストーブの電源を入れると、僕はソファに腰掛けた。
 隣には、さっきからうつらうつらとしていながらあまりに寒いので寝ることすらできないでいるりおが、じっと丸まっている。
「‥‥デート、か」
 先ほど、僕自身がオバサンに返した言葉を思い浮かべる。
 何が悲しくて、女同士でデートなどしなければいけないのだろう。
 いや、女同士というか、それ以前の問題として‥‥
「‥‥? うわっ!?」
 いつからかぐつぐつ云っていた鍋焼きうどんが、アルミの皿から水を噴き出していた。
 大慌てで駆け寄ると、とりあえず火を切る。熱いので皿の淵をタオルで掴んで、テーブルまで持ってきた。
「ふー、じゃ、いただきま‥‥って、箸!」
 慌てて立ち上がると、隣に座っていた、というか寝ていたりおがソファから転げ落ち、びくっと身体を振るわせた。
 が、僕はそんなこと気にもせず、キッチンから割り箸を一膳手にとって戻る。
「じゃ、今度こそー‥‥」
 何か忘れてる‥‥。
「? ‥‥あ、そっか、ビデオだビデオ」
 クリスマスの夜にレンタルビデオを借りる女を、店員はどう思ったろうか。
 クリスマスを嫌う男の人たちの気持ちが少しだけ判った気がした。
 まあともかく、借りてきたビデオをセットする。タイトルは『スターシップ・トゥルーパーズ』‥‥宇宙SFの作品。
 とある友人(僕は元々友人が少ないけど、その一人)に強烈に薦められたので借りてきた。
 けど、あのパッケージや友人の話を聞く限り、あまり食事中に見るべきではない気もするけど‥‥。
 まあ、芸能人が馬鹿笑いするだけのバラエティーよりは遥かにマシだ。
 ビデオデッキにテープをセットすると、いよいよソファに腰掛け鍋焼きうどんに手を伸ばす。
「あー、あったかい〜」
 隣でりおがこっちを見つめているのに気付くまで、実に十秒ほどかかった。
「あ‥‥ごめん、忘れてた。りおのごはんはっ、と」
 がしゃがしゃ。
 彼女の分も用意して、ようやっと食べる準備ができたと思った途端、映画が始まった。


   ちゅどーん、ちゅどーん。

   『早く逃げろ、殺されるぞ!』
   『うわああああっ!!』

   ぐしゃ、ぐちゃぐちゃ、どぼっ。


「‥‥」
 ぴ。
 テレビが暗転し、部屋に沈黙が戻る。
「さて、頂きますか」
 隣を見ると、行儀の欠片も無いりおは既に食べ始めている。
 なんだか釈然としない気分のまま、それでもこの映画を薦めてくれたカレに復讐する事を誓いながら、僕はようやくうどんにありつけた。
 ‥‥もう、熱くもなんともない、ただのうどんに。

「まったく‥‥りおのせいで散々」
 そのりおは、ソファに座っている僕の膝でもうぐっすりと眠っている。おなか一杯で幸せそうだチクショウ。
 テレビからは、さっき文句ばかり云っていた件のバラエティーが流れている。
 僕には2年前以上の記憶がないから、いわゆる世の中の一般的な物事とか、云ってしまえば世俗的なことに全く興味がなくなってしまった。
 それ以前にあったのかどうかも判らないのだけど、ともかく、今は無い。
 着る服とかがかろうじてまともなのは、立花先生の娘さんが時々遊びに来ては、見繕ってくれるからだ。

 立花先生‥‥私立探偵、立花旭。僕はその人に拾ってもらった、身寄りも戸籍も無い不逞の女‥‥の子。かろうじて。
 自分じゃ年齢は判らないけど、みなみちゃん‥‥立花先生の娘さん、よりは少し年上みたいだってことは判る。
 唯一覚えているのは名前だけ、そんな僕を拾ってくれたあの人には、いくら感謝しても感謝しきれない。
 僕と友達になってくれたみなみちゃんも、優しくしてくれる探偵局の局員さんたちも。

 そしてなにより、僕と同じ身の上のこの子‥‥りおも。

 なんだかんだ云って、僕は居候でしかないし、仕事もできないただの穀潰しだ。
 だから、というとりおは怒るかもしれないけど、だから僕は、僕と同じように拾われてここに来たりおを大事に思っている。
 りおは僕が守る、そうじゃないときっと、僕もりおも捨てられてしまう。
 こんなこと、もちろん先生やみなみちゃんが云うはずもないけど、思ってもいないと信じられるけど、僕の心にある。
 2年前から今この瞬間まで、それだけは確実なのだ。
 捨てるつもりなら最初から拾わないよ、と云ってくれた先生に感謝している、それは事実なのに、不安は決して消えることがない。
 判ってる、判ってるんだけど、この不安を消すことは不可能だし、それは先生も判ってくれている。
 だから僕は、ここにいる限り、ずっとこの不安と戦っていかなければならない。
 それがつまり、りおへのある種の偏愛に至っているのだ‥‥。

「さってと」
 くだらない考えはもう止めよう。いくら考えても何も変わりはしない。
 それより、誰も帰ってこないうちにお風呂に入っておいたほうがいい。
 寒いし。
「りお、お風呂入る?」
「‥‥」
 訊くまでも無い。寝てるって云ったじゃないか。僕が。
「じゃ、入りますよ、誰か来たら留守番よろしくね」
 無理なことはわかってる。云ってみただけだ。
 僕はバスタオルを手に取るとバスルームへ向かう‥‥と、何かにけつまずいた。
「あたっ‥‥あ、りおのごはんか。こんなとこにあった」
 どうやらコンビニの袋を床に置きっぱなしにしていたらしい。らしいってことはないか。やったのは僕だ。
 とりあえず片付ける。
「よっ、と。重いな」
 ひときわ大きい袋を両手に抱え、キッチンの脇へと置く。
「ずいぶん溜まってしまった」
 その一角‥‥りおのごはんばかりが溜められている一帯を見るにつけ、ため息が出てしまう。
 あふれんばかりの袋、パッケージには決まった文字。

『ラビットフード』

 体中が真っ黒な毛で覆われた彼女、黒いウサギのりおは、ストーブから適度に離れたソファの上で気持ちよさそうに丸くなっていた。
*

「クリスマスだってのにウサギと留守番か‥‥」
 ぶつくさ云いながらセーターを脱ぐ。
 上半身が裸になると、首から掛けられた銀色のペンダントが素肌と触れ合って冷たい。
 これだけが、僕に残された唯一の手がかり‥‥だとか先生は云っていたけど、結局のところ名前だけが刻まれていたに過ぎない。
 これをいつ、誰から、渡されたのか、一切覚えていないのだから、どうしようもないな、自分。
 ぼそっとそうつぶやくと、首からそれを外した。
 ファッションセンスもなければ、それへの興味も一切無い僕がただ一つ、みなみちゃんから『それ、きれいだね』と云われた装飾品。
 正式名称は知らないが、みなみちゃんが云うには『ドッグタグ』だかなんだか、っていう種類の飾りらしい。
 ペンダントとネックレスの違いも判らない僕に説明されても困るのだけれど、僕にとってドッグタグっていうのはあまりにもしっくり来すぎではないか。
 なぜなら僕は、『識別札』のおかげで自分の名前を知ることが出来たのだから。
 かた、と音が鳴り、洗面台にそれが横たわる。
 横文字で彫られた僕の名前が、五年前の西暦と共にきらりと光った。

『Merry Christmas in 2004 for Our Precious Yuki』


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