それは血の海。 無数の魔物の死体と、それすら凌駕する生きた敵達。 その鋼の剣は、幾千もの魔を斬ってなお、血を求め血を吸い血を吐き捨てる。 大英雄オルテガは、そこに立っていた。 ネクロゴンド火山は、魔物の巣窟である。 魔王バラモスの居城にほど近いその大地は、人間の入る隙など微塵も無く、ただ魔に染まった生き物達だけが潜んでいた。 斬れども斬れども終わらぬ軍勢に、それでもなお突き進む四人の人間。 アリアハンの誇る大英雄オルテガ。 ポルトガの雄志、剣聖ソバーシュ。 世界を巡る正しき魂、聖者メイヴ。 そしてソバーシュの妹である剣士、エクリュア。 彼らは今、ネクロゴンドの暗き洞窟へと進んでいる。 圧倒的な物量で迫る敵を吹き飛ばす、メイヴの魔法。 躍り出た敵を切り伏せる、ソバーシュの剣技。 あらゆる者を一刀両断するオルテガの剣戟に、有利なはずの魔物達はその足を止める。 これまで、どれだけの修羅場を潜り抜けてきたのだろうか。 一心不乱に周囲を蹴散らす英雄達は、魔に恭順せぬ人類の最後の希望であった。 「エクリュア、大丈夫ですか?」 兄から譲り受けたドラゴンキラーを両手に構える少女に、青い法衣を着た男がにこやかに声をかける。 エクリュアと呼ばれた少女は、黙って頷いた。短い青髪が揺れる。 「無理をせずに、きつかったら呼んで下さいよ。それくらいのフォローはできるつもりです」 男は遠慮がちにそう言ったが、無詠唱でその片手から放たれる業火は、言葉の奥ゆかしさとは裏腹に、三桁に届くほどの魔物を焼き尽くしている。 賢者という呼び名は、職業ではなく魔法を極めた者に与えられる称号といったほうがよい。 そういう意味において彼、聖者メイヴは、どこまでも賢者であり賢者と呼ぶにふさわしく、賢者としか呼びようのない使い手だった。 そんなメイヴを横目に見ながら、エクリュアは小さく呟いた。 「兄様たちは、もっと大変」 「‥‥それもそうですね」 そうメイヴが苦笑する。 その視線の先。 彼やエクリュアを囲むよりも更に数重多く群がる魔物達の円の中心に、もう二人の姿がある。 「つうか、きっついな、これ」 オルテガが笑った。笑顔で言った。 言いながら目の前の魔物の首を一撃で切り落とす。 必要最低限で最大の効果をもたらそうとする熟練独特の動きで相手を翻弄し、むやみに近づけないように振舞う。 「いい加減、飽きる」 オルテガと背中合わせに剣を構える痩身の男が、溜息をつくように答える。 背中まで無造作に伸びる青い髪は、確かにエクリュアと兄妹であることを示していた。 筋肉質のオルテガに対し、ソバーシュは長身で細い。必然、その戦い方も別物である。 その手にあるのは隼の剣と呼ばれる名刀。彼自身が長い旅の果てに見つけた唯一無二の高速剣は、通常の武器を一振りする時間で二度、あるいは三度の攻撃が可能。 究極の高速をこそ求めるソバーシュにとって、彼の代名詞とすら呼べる代物だ。 空気の流れ、時間の流れ、そして肉体の流れ。 全てに逆らわず、全てに沿って剣を揮えば、小さな力でもモノを斬ることはできる。 相手は、瞬く間に身体を細切れにされる。まさに高速である。 「それじゃ、そろそろメイヴにやってもらおうか」 オルテガが言う。どこか楽しそうに、くくく、と笑いながら。 「それがいい。最大攻撃の最大防御だ」 羽根のように軽い剣を、空気すら斬るが如く振り回しつつ、ソバーシュが同意する。 オルテガはそれに頷いて、胸元の笛を口に咥えて、吹いた。 「おや、オルテガの合図ですね」 オルテガやソバーシュを狙うほどではないとはいえ、敵の群れの中心にありながら、メイヴはごく自然に、ぼんやりとその場に立っている。 その耳に聞き覚えのある音が届いて、メイヴは無邪気に微笑んだ。 「エクリュア、あとは私がやりますから、身を引いてください」 一心不乱に剣を揮う少女の背中に語りかける。 聞こえているようには見えなかったが、少女は更に数匹の魔物を斬撃すると、無言で敵から身を離した。 メイヴの脇に寄る。余計な被害を被らないためにだ。 「いきますよ」 言うと同時に、メイヴは両手を広げる。 その両の掌に、一瞬にして人間の頭ほどの大きさの光球が生まれた。 続いて両腕を身体の前方に持ってきて、二つの光球を重ねる。 途端。 異常な魔力が周囲を照らした。 魔法の源は二つ。 大気に流れるエーテルと、体内に流れるエーギル。 エーテルが集合していた。大気がゆっくりとうごめき、メイヴの重ね合わせた手に集まっていく。 もはやこの力は、人智を超えていた。 「伏せてね、エクリュア」 事も無げにメイヴはそう後方の少女に告げて、両手を天にかざした。 「イオナズン」 世界が爆ぜた。
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