考えても、良く覚えてはいない。
覚えていないほど、きっかけは些細だったのかもしれない。
あまりにも衝撃的過ぎて、覚えていられなかったのかもしれない。
二年前。うちに来たゆきさんと出会ってから。
わたしの生活は、それまでより格段に変わった。
その内にゆきさんが居る事が当たり前になって。
気が付いたら、わたしの中にある、恋という名前の時計の針が、動き始めていた。
ゆっくり。そして、確実に。
ゆきさんが指を動かした瞬間。
ゆきさんが、唇を開いた瞬間。
ゆきさんが、歩いてくる瞬間。
たったそれだけでも、針は動く。
ゆきさんがそこにいてくれる。
それだけで、今は、幸せ。
だけど。いや、だから。
幸せと同時に、悲しさも同時に感じてしまう。
いつか来るかもしれない、わたしとゆきさんの別れ。
考えたくもないのに、考えてしまう。
学校で、ふっと一人になった時。
電気を消して、布団に入った時。
ゆきさんが、わたしから離れて歩いていく背中を見た時。
頭の中によぎるのは、あまりにもべたべたな光景。
学校帰り、駅前で歩いていたら、ゆきさんの背中が見えて。
思いっきり走って追いかけて。
やっと、追いついたと思ったら。
その傍らには、知らない男の人が居て。
ゆきさんは笑顔で。
わたしの知らない笑顔で。
わたしの知らない事を話し合って。
嬉しそうに、腕を絡めて。
それだけじゃない。
ゆきさんの記憶が無いっていうのが、余計な想像をふくらませる。
記憶がない時に居たはずの両親、兄弟、親友。
記憶を取り戻した瞬間、わたしはゆきさんに選んで貰えるだろうか。
それどころか、覚えて貰えるかどうかでさえ、わたしには危うく思える。
こんな子供じみた考えを伝えたら、ゆきさんには笑われるだろう。
敬遠されるかもしれない。
うんざりした顔を見てしまうかもしれない。
でも、こんなわたしだって、ちゃんとわたしなんだ。
わたしは机に突っ伏して、ため息をつく。
今はこんな事しかできない。
出来ないけど。
いつか……ゆきさんに何かを言える時が来るんだろうか……
ことん……
その時、音がして、わたしは体を起こす。
そこには、ゆきさんが居て、わたしを見つめていた。
「どうしたの、みなみちゃん。
ほら、柏餅とお番茶だよ」
自分の目の前には、柏餅の乗ったお皿と湯飲みが置かれていた。
もしかして、今の想像とか、ばれたりなんかしないよね……
あり得ない事を考えてしまってから、慌ててその話題に合わせる。
「か、柏餅かぁ……って、あれ?」
そこまで言ってから、わたしはおかしな事に気が付いた。
この柏餅……普通の物と何処か違う……
「気付いた? この柏餅にチョコペンで目と口を描いてみたんだけど。可愛いでしょ」
……
ど、どういうこと?
確かに、柏餅の葉っぱから餅が顔を出してあるところに、茶色で小さい丸が二つと、その下に下半分の円が……
……面白いかも。
「あははははっ ゆきさん、サイコー」
「でしょ。ほら、お番茶が冷めないうちに食べてね」
「あはははは……」
ゆきさんってほんと面白い……
わたしは、しばらくの間、笑いながら柏餅を食べた。
はぁ、わたしって、なんて幸せなんだろう……
変な事で悩んでたのが、嘘みたいに消えちゃった。
わたし、ゆきさんの事好きで、本当に良かった……
それにしても、食べ物一つでころっと変わっちゃうみなみちゃんって、やっぱり面白い。
僕は、ここに来られて、本当に幸せだと思う。