SLAUGHTER "chill"

SLAUGHTER "chill"
by 髙津沙穂師匠

「見て見て、ゆきさん！」

　そんな元気な声が、ここ、立花探偵局の中を包み込む。
　相変わらず、身内以外の人間の気配のないここには、少女の声は良く響いた。

「んー？」

　その声に反応したのはただ一人。
　ソファに座り、山のように積まれている年賀はがきの下部と、新聞を見比べていた女性だ。
　顔を上げ、窓の外に身を乗り出している少女の後ろ姿を見つめた。

「こら、そんなことしてると危ないよ」

「だって、だって！」

　興奮した声で、さらに体を外に乗り出す。
　ミニスカートから覗いている健康的な生足がばたばたと跳ね、赤と黒のチェック柄のスカートとの間から、何度も純白の布が見えた。
　ゆきは、小さくため息をつくと、立ち上がって少女、立花陽へと歩いていく。

「ちょっと、出てくるね！」

「え？　どこいくの！？」

　先程まで座っていたソファと立花の、丁度中間までゆきが辿り着いた時に、いきなり立花は窓を閉め、ゆきの脇を通り抜けて、外へと飛び出していく。
　その後ろ姿を見て、再び小さいため息をつくと、ゆきは近くに掛けてあったコートを羽織り、後を追いかけていく。

バタム……

ビューー……

「さ、さむ……」

　外に出た瞬間、容赦ない寒風を浴びて、ゆきは体を縮こまらせた。
　なにも、こんな時に好きこのんで外になんて出なくていいのに。
　そう心で愚痴をこぼした瞬間、ゆきの鼻先に冷たい物が当たった。

「ん……？」

　目を寄せて、ゆきは自分の鼻先を見る。
　そこでは、白い物体が、みるみるうちに溶けていた。

「なんだ、雪か……」

　自分と同じ名前の物体のことを口にして、心の中で小さく笑った。
　それからすぐ、あたりに目を配る。
　そう遠くないところに、立花はいた。

「あははは、ははは、きゃははっ」

　両手を広げ、駆け回る少女。
　この季節には全く似合わないミニスカートも、長袖の純白のブラウスも、少し汚れたスニーカーも、楽しげに跳ねていた。

「ゆきさん、ゆきさん、ほら、ゆきさんが一杯！」

「ああ、そうだね……」

　ゆきはしばらく、その光景に見とれていた。
　立花のことが、この瞬間には雪の精のように、見えた。

「さ、さむぅい……」

　もしかしたら、止めるまで駆け回っているつもりなのかとゆきが思った時、自分を抱きかかえるようにして軽く震えながら、立花がゆっくりとゆきの所へ近づいてきた。
　その白い肌は、既に鳥肌になっていた。

「そんな格好で、外に出るからだよ。さぁ、戻ろう」

「で、でも……」

　言葉まで白く凍るような寒さの中、立花は帰るのを渋った。
　何故だろう、と雪が思っていると、立花は笑顔で続けた。

「今年初めて、わたしとゆきさんと一緒に見た雪だから、もうちょっと見ていたいな……」

　その言葉を聞いたとき、ゆきは自分が立花と同姓だという事も忘れ、自分の体が熱くなっていくのを感じていた。

「ほら、陽ちゃん、おいで？」

「えっ……」

　ゆきは自分のコートの前を広げ、立花を誘う。
　それが心底信じられないといった表情で、立花は戸惑う。

「本当に、いいの？」

「嫌ならやめてもいいんだけど」

「ううん、嫌じゃないよっ」

　立花が勢いを付けて、ゆきのコートの中に飛び込む。
　軽い衝撃を受けて、ゆきは少しよろけるが、すぐに体勢を立て直してコートの前を閉じた。

「あたたかい……」

「そりゃあ、そんな格好から、コートの中に入ればね」

「ゆきさんの体も、暖かい……」

「体が温かい人は、心が冷たいって言うよ？」

「それは、手だよ」

　二人は笑い出した。
　その上にも、容赦なく雪は降り続いた。
　笑い終えた後、二人は無言で、しんしんと降り続ける雪を眺めていた。
　車も通らずあたりはしんとしている。
　その、景色が全て凍ってしまいそうな静寂を、かろうじて防いでいるのは、二人の息づかい。

「なんだか、静かだね……」

「うん……」

「こうしていると、世界にゆきさんと二人きりになったみたい」

「うん……」

「なんだか、テレビの恋人同士みたいだね……」

「うん……あ」

「おはよう。くす、可愛い妹さんね」

　しかし、その二人だけの世界は、すぐに終わりを迎えた。
　すぐ先にある曲がり角から、ベージュのコートを身にまとい、こぼれんばかりの胸を白いセーターに押し込めた女性が、二人の横を通り過ぎたのだ。
　二人は頭を下げて、女性を見送った。

ガシッ！

「痛っ」

　ゆきは、足に鋭い痛みを感じた。
　それが何によって引き起こされたか、考えなくとも分かった。
　自分の足の甲の上に、コートの中に招き入れた人物の足が重なっていたからだ。

「痛いよ」

「ゆきさん、あの人ずっと見てた」

「え？　いや、見かけない人だなって思ってさ」

「嘘。そんな顔してなかった」

「じゃあ、どんな顔……」

「鼻の下が伸びてたよ、びよーんって」

　立花がコートから両手を出し、めいっぱい広げて表現をする。

「うう、さむっ」

「あはは……しょうがないな、帰ったら紅茶を入れてあげるから、それで許してよ」

「しょうがないなぁ……今回だけ特別だよ？」

「うん、ごめん……かなわないなぁ、陽ちゃんには」

　ゆきは苦笑して、探偵局に向けて歩き始めた。
　人をコートの中に入れて歩くのはかなり難しかったが、それは苦にならなかった。

　やがて、二人の姿は雪の中から消えていった。

　それは、短い短い幸せの時。
　だけど、とても大切な一瞬。
　一生忘れないであろう、至福の一瞬。

　二人が、それを、感じ続けることを、望むのならば。
　一瞬は、永遠へと変わるのかもしれない━━

この作品を書いて下さったのは、我が師髙津沙穂先生です。ありがとうございます。
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